『日本の美術158 塔の建築』浜島正士・編

もともとこの塔が仏舎利を収める目的で作られていた、というのは聞いた覚えがあったのですが、ええと、顕教の四仏というのが東方に薬師、南方に釈迦、西方に阿弥陀、北方に弥勒。で、ああ、興福寺ではこれだったよってあるなー。
(創建五重塔ってのと三重塔ってのがあるんだね、で、前者では仏像、後者は絵。)
平安時代になると密教の影響で「四方四仏」だとか、真言宗では多重塔は大日如来の化身であるとか、まあなんだ、要するに時代時代で塔の意味が変わるんだね?
あと私、多重塔のほうしか塔の形状として知らないな、と思っていたんですが、多宝塔ってあれだ、塔だって認識してなかったけどよく考えたら寺院でたまに見てたな!
多宝塔ってのは多重塔と宝塔との合体のようなもの、とあるんですが、宝塔ってのは円柱状の建物で建築としてはあまり数がないものの、仏舎利の入れ物などとして建物の中にあることはあるとか、ああ、なんとなく記憶にはあるような。
多重塔ってのは五重塔とか七重塔とかのあれですね、一階部分が方形で二階部分が円形ってのが多宝塔か…、これもどうやら正確な呼び方ではないようですが。
正確なっていうか、名前がないのかもしれないなぁ、ややこしい。

垂木っていう沿った屋根や屋根廻りの装飾などはわりと共通して見えるものの、細かく見ていくといろんな分類があるとか、なんとか、でもその意匠自体に意味があるのかないのか、どうも特に宗派で違うってわけでもないっぽいよなぁ。
あと前から気になってるんですが、特に斜面に建っている塔ってどうやって建てたんでしょうね…宝塔はわからないでもないけど、多重塔の技術って開明されてるのかしら。
そもそも塔ってなんの目的で建ててたんだろうね、ころころ変わっててわからんww