「道と川の近代」高村直助

近代の交通というと新しい技術である鉄道に主に焦点が当たっていて他があまり省みられず、ということが語られていたんですが、結局鉄道にしたところで本当に初期の頃だけで他の交通の発展と事情が絡む時期になるとよくわからない扱いされるようなことになってしまっているんだよなぁ。もともとこの本を手に取ったのも鉄道を調べている一貫なんですが。
例えば河川通運が鉄道によって衰退したというのも確かに事実ではあるもののそれはだいぶ時代が下ってからだし、場所によってはむしろ鉄道や道と結ぶために新しく発展したようなこともあったんだよね、みたいなことがあったり。
道に関しては鉄道よりもだいぶ法整備が遅れたせいか、いまいちわかりにくいことになっているような気もします。てか、初期は河川と道の計画って一緒になってたのか。

資金面に関してはたまに名前を聞くことがある7分積立金(江戸の町中の管理に使われてたみたいなんですけどね、結構後々までこの仕組み残ってるよね)、明治10年くらいから出てくる起業公債、それでも足りなかったものは中山道公債。
正直私、起業公債って産業振興に使われたと思っていたんですが、どっちかというと交通整備メインだったみたいですね。この前に明治の産業の本を読んでいたんですが、インフラ工事に対しての建築資材の納入って話がそういや多かったな、煉瓦とかコンクリとか。
中山道公債は鉄道作ったのかと思ってたんですが、名目はそれでも起業公債の穴埋めとして使われたみたいですね、うーんw
しかしそもそも、起業公債の中でトップバッターとして上げられていた東北の野蒜港計画がオランダの起伏の緩やかな地の河川管理技術をベースにしたために頓挫、なし崩し的に関連事業が駄目になったので、知られてないってのもある意味で仕方ないのかな…。