「日本交通史」児玉幸多・編

こんなタイトルで時々参考文献として挙げられているのも見ますが平成4年、1992年の刊行で、五畿七道(か七道駅路、どっちが一般的なのかなぁ、どっちもそこそこ見る)に関してもがっつり出てきてるのがちょっと嬉しいかな…、これ、実在してると思われてなかっただけで普通にいろいろ文献資料は残ってるんですね、なんとも複雑な気持ち。
(ただ作った時点の記述が全く存在しないらしいです、この本で触れてなかったけどw)
てか、今まで七道が同等みたいに読んでたんですが、山陽道が大道(中央と大宰府をつないでるからだって、大宰府は交易の窓口)、東海道東山道が中道、他が小道って分類だったのか、初めて知った。替え馬などを用意したかなり精巧なシステムのようだったんですが、どうもそのせいかだいぶあっさり終了したらしいです、うん聞く聞く。
で、そもそも東山道東海道はもともとは東山道が優位だったんですが、水運の発達とともに東海道が隆盛、9世紀くらいまでには完全に逆転していたらしく。
次に出てくるのが鎌倉幕府、各地にも地方行政による伝馬などが整えてあったらしいんですけどね、どうも大規模なものではなかったようで、鎌倉幕府は今は経路わかってる部分少ないんじゃなかったっけか。
江戸になると五街道が完全に政治的にも別のシステムとして稼動、わりと知られている関所や女出入りが厳しかったというのも、「出女」だけが厳しいというわけでもないような? と疑問がられてるので完全な定説でもないのかもなぁ、ひょっとして。

江戸幕府の頃はわりと水運も全国的な展開をしていたようなんですが、ちょっとこう、この本だと体系的にはわからなかったかなぁ、時代ごとの変化なんてのは良かったんですけどね、この人の視点で近世から近代への変化を読んでみたかったけど、ややこしそうだ。