『法隆寺-聖徳太子の理想を伝える斑鳩の里』週刊 古寺をゆく01

全80巻のシリーズを予定していて、その1冊目(まあ順当だよね)、で、目当ては当面のところ第2巻の東大寺、第4巻の興福寺の南都権門寺院なんですがある意味でこの法隆寺が先んじたみたいな存在なのでちょっと参考にはなったかな。
まあ、正直なところを言うと法隆寺はさすがにあちこちで記述見るんだけどね。
要するにもともと権門寺院に近い存在として「斑鳩宮」と隣接して作られたものの、地理的に都のほうが遠ざかったのがこの法隆寺なんだろうなぁ、ただそのおかげか、それほど燃えたという経験もなくて美術品にしろ建築物にしろわりとよく残ってるよねー。
全焼した、いやしてないって議論はなんとなくどっかで見た記憶がw
前に読んでいた国分寺建築の本でも法隆寺スタイルっての出てきましたが、初期のものというより、初期寺院建築の完成系のようなものとして聞いてます。そこまで自信があるわけでもないものの、そう遠い解釈でもないんじゃないかなこれで。
で、現存最古の木造建築ってことでいいんだろうか?
一旦燃えてるらしいものの、あくまで若宮? ちょっと私の知識だとよくわからないんですが、まあいいや、最古って言われてるんだからそのまま受け取っておこう。
そもそも戦火でもない限りそれぞれ独立してる寺院建築が全焼することもないか。

仏像関係はさすがにわりと有名なものが多くてぽちぽちと記憶にもあるんですが、頭でっかちなので正直それぞれの来歴や時代のようなものが気になってしまうのですが、わりと広い時代に跨ってるんじゃないのかしら、中宮寺の菩薩さま好きだな。
聖徳太子の痕跡ってのも、思った以上にあちこちに散らばっていて、これ見ると「聖徳太子非実在説」ってどうなんだろうってつい考えてしまうよなぁ。