『日本の美術88 銅鐸』三木文雄・編

読みながらなにか違和感があったんですが、昭和48年(1973年)だと正直なところ出雲での大規模な銅鐸の発掘よりもはるかに前なので、むしろこの程度のブレ(分布地図を見るまで違和感程度だったからなぁ)で済んでる分だけだいぶ良かったのかなぁ。
あくまでも物が存在し、その分析を中心にしていると堅実ですね。
ただまあ、その分、面白いのかというと読む側に鍛錬がいるようには思います。
そもそもこの「銅鐸」というのはもうすでに古代だか中世くらいには完全に目的が忘れられてしまっていて、楽器かなんだかわからないけども、叩いてみると音律には適ってるなどという評価をされていたようです。
それと、逆さまに埋められていたのではないか、というのもすでに意識されてる模様。
出雲の数十個の出土以前にも結構な範囲と地域に広まっていたんですね。
銅剣、銅矛、まれに土器を伴うものの、その埋められた時期が同じであっても同じ時期に使われていたのかどうかもわからないなどと、正直だいぶ悩ましい。
楽器ではないかという説は、もうこの段階よりもずいぶん前に否定されてるのか。
そのわりには、私一応楽器として話を聞いていたような、気がします。
いや、この本よりわりと年下なんですが、三つ下の妹に聞くともう完全に楽器として習ったことないよ、みたいなことを言っていたなぁ。いつ変わったのかしら。

出雲の大規模出土以前は把握されていないのがどこで作ったのか、という概念。
ただ、一応非大和政権寄りの地域とは認識されているのかなぁ、私が知らなかったのが「小銅鐸」の存在…と思わないでもなかったんですが、これはあれか、この段階では楽器であり祭事に使われてたって研究進んでたな! 古い本も真面目だと面白いですね。