「戦争遺跡の発掘・陸軍前橋飛行場」遺跡を学ぶ047、菊池実

戦争遺跡の発掘―陸軍前橋飛行場 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

戦争遺跡の発掘―陸軍前橋飛行場 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

昭和16年(太平洋戦争の開始)の時点で内地の飛行場が60箇所あって、この後、昭和17年に全国的に調査が行われて昭和18年以降に作られた飛行場が24箇所、整備された飛行場が7箇所、その中の一つがこの「陸軍前橋飛行場」とのことなんですが。
(地元では飛行場のあった村の一つの堤ヶ岡飛行場って呼んでたらしいけどね。)
この本の中でも出てきていた調布飛行場も戦中に作られたって聞いていたんですが上の24箇所の中には入ってないのかなぁ、でも施設の性質としては近いみたいだよね。飛行場に併設されていた警備隊とそこにあった薬棚ってちょっと不思議。
この遺跡からは地味に近世や古代のものも出てきたようなんですが、ああ、水田の下とかからたまに出てくるあれか、やっぱり結構あちこちにあるってことなんでしょうね。

大きな水田は避けたもののどうしても水田を含まないとまとまった土地がなく、そのためか結構早い段階、ええと、昭和26年の段階で返還されたのかな。まあ、あまり大きいものではないのでそのまま使い続けるには不適当だろうし、滑走路はそんなに原状回復するのは難しくなかったのかもね、ただ水路は一部潰さざるを得なかったようです。
近くに県道を通すこともあって2000年からの3年間にて調査、他のシリーズとはちょっと違ってもともと戦争遺産系の著者さんが書いておられるみたいですね。
ていうか戦時中の工事はやっぱり結構質が悪いなー、という結論にもなってますが、まあ、上の時期や期間や数見れば仕方ないだろうね…。昭和20年が終戦です。
で、基本的にこの昭和18年以降の飛行場は教育重視だったので末期には特攻隊の訓練所になりそこで驕る姿勢があった、という記録などもぽちぽち。しかしなぁ、そのあと死ぬって時にそんなに冷静さ求めるってのもなんかちょっと飲み込みにくい感慨だよね。