「大仏再建-中世民衆の熱狂」講談社選書メチエ56、五味文彦

最近この時代とこの「東大寺興福寺の炎上」を続けて読んでいるので当然なものの、だいぶ何度も燃えた印象になってしまっているんですが…そういやこのあとにも室町時代の末期に燃えたんだっけ東大寺、ご愁傷様です。
室町時代には興福寺は無事でした、そういえば東大寺興福寺に隣接している春日社がどうなったか気になっていたんですが、なんとか延焼は免れたってありました、あるいは春日社が復興のための拠点になっていることもあったかもねぇ。)

大雑把に源平合戦の時代、平清盛の息子によって燃やされたらしいんですが、どうもこの本を読む限りではそのせいで滅ぼされてしまった気がしないでもない。
そもそも飢餓や地震の天変地異が続いていた時代、聖武天皇が国の護りとして作ったという東大寺が大仏殿ごと燃えたら、そうだな、現代人でも取り乱すよな…。結局この後、平氏追討の綸旨が出るわ、主犯だった平重衝は捕縛されて首を落とされているわ。
その後、生き残った平氏勢が宗教関係の慰撫に必死だったのも、よくわかります、というより、本当にそれ以外生き残れなかったんだね、侮れない。
挙げ句にこの東大寺の復興の中から「鎌倉新仏教」、民衆寄りの宗派が生まれ、阿弥陀仏の名を持つ同行衆という集団が生まれ、というのを見ていたら同朋衆が生まれていました、足利将軍家に仕えた芸能集団! 阿弥号を持ち、法華経から頭に付ける一文字を取るって、わあ、ここが起源だったのか、どうりで話がいまいちつながってないと…。
それとどうも、大仏や寺院の復興のためにどうも全土的に鋳物師などが借り出されていたようなんですが、この辺はちゃんと記録は残っていないかもなぁ、この事件、この後の歴史への影響力半端ないんじゃなかろうか。