「興福寺」日本歴史叢書、泉谷康夫

奈良の南都の有力寺院の中で東大寺に次いで名前が上げられるのがこの藤原氏の氏寺である興福寺で、あんまり本がないなぁ、と思いながら借りて来てみたらば大和国の事実上の支配者であるため、『奈良市史』に大きく取り上げられている上、日本の商業史の最初の頃の一ページの「座」の担い手としても出てくるらしく。
それと貴種の受け皿として内部に派閥が出来ていたらしいです、おかげでそれぞれの派閥が一体なにをしているのかが客観的な資料として残ってないようですなんじゃそれ。
正直、この興福寺平安時代末に東大寺と共に燃やされた出来事が知りたかったものの、その後東大寺がだんだん民衆化するのと対照的に本当に生々しいよなあ。
というより、どうもこの事件においては東大寺ほど復興費用に困らなかったようで、藤原氏はわかるものの国の支援を受けられたとのことでそこまで大して比重がなかったんですが、あれ、なんで東大寺よりも先なんだろう、ちょっとややこしいな…。
なんだろう、寺院という意味ではそんなに知名度ないように感じていたんですが、政治力って意味だとだいぶ巨大だよなぁ、なんかだいぶ不思議。
特にあれ、大和国の事実上の支配者だったって辺り。

というか、東大寺と同じく敷地を接している春日社とは単に藤原氏氏神であるという藤原氏の庇護を受けている関係で一体化したのかと思っていたんですが、あ、はい、興福寺が徐々に飲み込んでいたんですね。
領土が結構広いことそのものはそんなに問題ないと思うんですが、東大寺とも結構ガチで対立していたりして、うん、やっぱり結構やんちゃだ興福寺
とりあえず東大寺のほうから読んでいくかな、『奈良市史』どっかで読めるかな。