「大宰府」教育社歴史新書 日本史25、倉住靖彦

すごく大雑把に海外との交流ってこの北九州(大宰府とか博多とか)ルートと、それと東北ルートとにばっつり別れてしまうものだと思うんですが、なんか南九州からの上陸とか、沖縄とかのルートって聞かないんだけどもなにか私が理解していない海流とか拠点の違いとかあるのかなぁ、と思っているのですが。
とりあえず主流の国外への玄関口っていうと圧倒的に大宰府だよね。
私、「太」宰府の字のほうで認識していたんですが、これは現在の地名もしくは太宰府天満宮のことであって、行政機関としては「大」宰府のほうだよ、と聞きまして、大変申し訳ありませんでした、本見付からないわけだ!!
(何冊か読んでますけども、リストかなんかで見つけてるんだだいたい。)
友人に告げたところ「だから言ったのにww」って言われてしまったものの、認識してないとわからないものですね…。

この本は大雑把に中央視点であって、東国からわざわざ防人を呼んだのは政治的事情だったのではないか、とか、この地に流罪になった人がどんなに苦悩の日々を送ったのかという内容に満ちていたんですが、私九州に行った時に結構楽しくやっていたらしい痕跡を見ていたので、あ、うん、そういうことになっていたのかな、と楽しかったです。
ところで東国からの防人を西国に割り振った瞬間に大宰府そのものが崩壊したので、正直政治的理由だったと言われても、ちょっと信じにくいものがありますいいけどww
この地に流されて来た貴人たちは一応罪人だったものの、ただ政敵なだけで実際にはだいたい無実だったからね、という辺りは事実だと思います、史実じゃなくて事実。実際には楽しそうにしててなによりです! うん、歴史って面白いことたくさんありますね。