「石造物が語る中世職能集団」日本史リブレット029、山川均

石造物が語る中世職能集団 (日本史リブレット)

石造物が語る中世職能集団 (日本史リブレット)

 

 

源平の時代の南都襲撃によって東大寺興福寺が炎上し、その復興にと大陸中国から呼ばれた伊行末を中心にした石工集団がいて、「伊派石工」と呼ばれる…これは近畿の辺りで展開していた石工集団かな?
それと東国、箱根や鎌倉の周辺にも「大蔵派石工」と呼ばれる集団を作って、大まかに鎌倉末くらいまでにゆっくりとその存在が消えていくようなのですが(少なくとも急激に滅びたって感じではないよね)。
そもそもこの鎌倉時代よりも以前に石工と言われるような存在ってのはいたのかなあ、というのがよくわからないし、石工がわりと明確に作品に名前を残すんですよね。実際にはいなかったはずの名前なんかもあるな、と言われているんですが、計画者なのか、と推測されていたりする。
それと現在はすでに寸法がほぼ共通している場合には同じ地域に同じ時代に作られたことが判明している、と言われていたものの、同一人物や同一集団が作ったというわけでもない場合に、どうやって共有していたのかってのの具体的な仮説はまだないようで。
(もっと昔には目測や雰囲気で推測していたらしいのでだいぶ進展したんだろうね。)

で、石の材質などからだいたいどの土地から来たものであるのか、というのを推測していたり、日本の僧侶がよく留学していた地域とは違うようだ、などという話などもあるもののまだ確定した説ではなさそうだったなぁあれも。
そもそもこの時代に日本に商業の基盤が出来て、職人らしき存在も少し前に登場したのではないか(技術者は政府お抱え)、とも言われてるのでその辺との絡みも読みたかったなぁ、消えたというより、技術は他所に受け継がれたと見るべきなのかなぁ?