「多摩川物語-上・中流七十年史」根岸律男

実際の多摩川流域はちょっと遠くて、私が認識してるのが京王線と沿っている部分府中から調布くらいまでの辺りなんですが、この「調布」というのがそもそも多摩川流域には3箇所あるんですよね(実際に布に関わっていたところらしいですが、ちょっとその関係のもの残ってないみたいなんだよね)。
で、この本で語られていたのがその最初の調布、今の東京都調布市でも田園調布でもない奥多摩、青梅の近く、青梅線の存在なども時々語られているような土地の話で。
あんまり下流とはご縁がないんだよね、てのは、他の流域の本読んでても感じるんですが、どちらかというと、多摩川を渡って対岸との付き合いが濃いらしい。
この本の中では渡しが少しずつ消えて行って橋が増えて、でも浅瀬なんかだとほいほい渡ってしまうなんてこともあるようですが、中には「通勤に竹馬」を使っていたご家族の話なんてのもありましたねw
そもそも奥多摩って呼び方も昔からのものではなかったようですが、それこそこの著者さんも関わってる中で生まれた土地の知恵の結集みたいなものだったんだね。吉川栄治さん辺りが「奥」って硬くて女性に受けにくいんじゃないかなぁ、と言ってらしたりしたんですが、どうだったんだろうなぁ。この地で山というとまず御岳登山、とかいろいろ感覚が違って面白い(下流だと高尾山だよね)。

材木をいっせいに流し、大水のたんびに3割が失われ、下流の人たちが材木を溜め込んでしまっているとか(回収の人手が足りないんで黙認されてたみたいw)、たびたび起こる洪水だとか、砂利採取の話だとかそれを摂りに来た鉄道の話だとか。
その後、ダムが出来て取水堰が出来て、川と人がすっかり離れてしまったんでしょうが。