「富士山文化-その信仰遺跡を歩く」竹谷靭負

正直なところわりと面白かったものの、江戸以前の富士関係の信仰に関して全く触れられていなかったので残念かも、と思っていたらば、そもそもそのすぐ側まで行っていたというのに「ミーハーなものには関わらない」とばかりに得意満面で素通りしていてさすがにがっくり…。
高尾山という富士山の連なりの尾っぽの部分という意味の山の名前を持つ、修験道(要するに山岳信仰)の寺院だよそれ、普通にそこらに書いてあるものなので、馬鹿にしてなければ多分読んでいたんだろうと思うんですけどね、切ない。
富士山の遥拝所も、要するに寺が設定していたものじゃないのかなぁ?
今は富士山を見るための台はまた別のところに存在しているしなぁ、そこから富士山までを巡礼するなんていう習慣もあるそうですよ、今もあるんだっけか。
まあ、あくまでも江戸の観光需要みたいなものを含めた信仰にしか興味がないってんなら仕方ないんですけどねー、富士山の文化遺産登録に対して世界遺産への登録運動をした県に関係ある土地ばかりを押し出してしまい、文化的なつながりがない登録になってしまったのではないか、という指摘には納得するものがあったので、ううん、まあ、仕方ないのかな、そうやって前の文化は忘れていくみたいな証左になっちゃったのか。
 
そもそも富士塚も、わりと最近まで忘れられていて、何度もテレビでピックアップされるようになった時期も覚えてますね結構ww
まず江戸城がシンボルであり、その後、富士山がシンボルとなっていったよ、というのはなんだかちょっと不思議、その変化そのものは確かに浮世絵に現れているものの、その変遷を辿るには古い信仰を見ても良かったんじゃないのかなぁ、ううん残念。