「車両を造るという仕事-元営団車両部長が語る地下鉄発達史」交通新聞社新書066、里田啓

 

営団地下鉄時代の日比谷線車両を造っている時代に営団に入社、その後東西線をメインで担当し(輸送に関して国鉄とごたごたしてたり、時代を感じるなぁw)、千代田線と、前倒しで設計しようぜー、みたいな有楽町線くらいまで関わってたのかな?
なんか時々都営地下鉄系の話が出て来るんですが、多分これ関係近かった時期だろうね。
半蔵門線を都営新宿線と一緒に作ってたり、千代田線を都営三田線と作ってたりした区間があったんだってさ、そういうことまでは触れてなかったんですが。)
どうもその後は地位が上がっていったせいかあんまり車両単位の細かいことには関わらなくなってしまったのかなぁ、その代わりに新交通システムがどうのー、とか、リニア地下鉄がどうのー、みたいな話に参加されていたりしますが、それぞれがどういう路線に関係しての話なのかは明記して書かれてはないんですよね。

あ、あと、営団地下鉄でこの時代だと幾つかの事故があるんですが、あくまで車両部としての関わりのせいか被害程度に関してのみで人的被害の有無みたいなものに関しての言及がなかったのがちょっと印象的でした、まあ、そういうのはあくまでたまたま人が悪い位置にいたのかどうかであって、車両の性能とは無関係だもんなぁ。
日比谷線の事故は多分地下鉄車両での事故のかなり早いものだと思うんですが、難燃性を極めると毒ガスが出るのは仕方ない、と一旦断念していたり、東西線の竜巻事故に関しては可能性がどれだけ低い突発性の事故であるのかの部分を確認していたり、と、技術者として出来ることはするって感じの印象だったなぁ。
上司や国鉄などとの関係には結構人間味があったんですが、国鉄から来た「お殿様」が一番好きだったんでしょうか、お殿様楽しい人だったなww