「たたら製鉄」吉備考古ライブラリィ10、光永真一

そういえば前に友人と話していたことがあるのですが製鉄(まあ総称ではないらしいんだけども、一番わかりやすいのがこれだしこの本ではこう統一されていたので)関係の技術のことを基本的に全て「たたら」と呼ぶのだと言ったらなんでまた一体?! ということを不思議がられたことがあるのですが。
この本の中で読んだたたらというのは要するに空気を送り込む機能のことを指すのであって、これは要するにどのような技法でも必要であり、また技術的に特に進歩する必要もないために製鉄そのものの総称となったのではないかということを告げたところ非常に納得していたんですが、要するに彼女の疑問そのものも技術的なところから生じたものだったのかもなぁ。
まあ、正直なところを言えば私はそれを疑問に思うとか思わないという以前に、複数の系統の資料で全てそうなっていたからそう、という認識しかしてなかったけどね!
それと、この吉備の地にも含まれる備前の製鉄技術に関してを調べてみようとしたところ検索で全く出てこず、ほとんどが陶器に関してだったんですが、確かにそうですね、吉備という時代で調べないと出てくるわけがないんだな。
しかし正直、陶器と製鉄ってどちらも非常に燃料が必要なものなので、二つを産業として抱えていてこの土地が大丈夫だったのかが気になってしまうんですけどね。
あるいはそれが長船の地の大洪水ってことだったのかしら。
(木を切ると土地の保水能力が失われ、旱魃や洪水が起こりやすくなる。)

ヤツメウナギなどの遺跡の形状の話や、他の遺跡などとの関連性などが触れられていたんですが、まあまだ研究資料段階かな、出雲の製鉄技術との関係あったのかしら?