「同和鉱業片上鉄道(下」RM LIBRARY-128、寺田裕一

同和鉱業片上鉄道〈下〉 (RM LIBRARY 128)

同和鉱業片上鉄道〈下〉 (RM LIBRARY 128)

 

 

あとの時代になると硫黄の合成によって硫酸鉄鉱山が閉められる、という事態に至っているものの、大正11年、でいいかな? ちょっと路線が細切れなんですが、鉱山内での取り込み線みたいな使われ方してた時代もあるのかな、この時代だと鉄鉱石のほうが優先してたんじゃないのかな、なんというか、海外の安い鉄鉱石と戦うようになると採算性が高くないと難しいってことだったと思うので、まだこの時代には関係ないはず。
山陽鉄道までを接続しているのかと思いましたが、全線での貨物輸送需要、と言われていたので片上港から積み出ししてたのかも。遠浅の古い湊みたいですが、鉄鉱石だけを積み出すんなら単独の船仕立てても採算取れそうだしなー、その辺は語られてなかったんでなんとも言えないんですが。
それと、沿線の人口が希薄なわりには旅客需要に対しての対策が普通の地方私鉄よりもしっかりしてた、というようなことを言われていたんですが、鉱山労働者輸送かな?
今も保存鉄道として沿線の施設がぽちぽちと残されていたり、道になっていたりするようなんですが、もっと早い段階から用意しておけばなんらかの展開はあったのかもしれないなぁ、というか、これ鉄道の問題じゃなくて一地方の問題なんだろうね。

無蓋が時期を問わずに一番多く、内燃動車は戦時中には使えなくなって客車に改造して蒸気機関車で引っ張ったり、戦後には他所の似たような私鉄から車両を融通し合っていたりとか、物が鉄だけに戦時中でも貨物の燃料は統制の対象じゃなかったのかもなぁ。
無蓋貨物車両などは省線(戦後までは鉄道省)のほうでも不足していたらしく、あれやこれやと改造して使ってたりしたっぽい。車両が多彩、とは言うものの、余裕がある分だけ継ぎ接ぎみたいな車両は戦争前後くらいであとはわりと王道かな、数が多かったのね。