「鬼伝説の研究-金工史の視点から」若尾五雄

そもそも修験道が鉱山開拓をしていたんだよ、ということすらところによっては証拠のない疑問視扱いされていたり、全く触れられていないことなどもあったのですが、これだけ各地で明言されている分量があるのならばもう普通に認めてもいいよね?! という気持ちになってしまったんですが、そこのところはどうなんだろう。
というか今の時点で修験道というのが、えーと、平安後期くらいの流れの一つとして捉えればいいのかな、これは。
そもそも本の中で出てきた仏教関係のものが、伊勢神宮春日大社以外はほとんどその時代以降、というより、その時代に関係していたものだったので、もうちょっと仏教に詳しい人が読んでいたらどういうふうに分析したのか気になったなぁ。
私だと、最近やっとその時代にそもそも塊というか仏教のカテゴリ別け(神道および神社サイド含め)が出来るという程度なのでもちろんそこ止まり。

 

それと気になったのが日本刀の「小狐丸」伝説のところでその伝説に出てくる狐の正体をざっくりと稲荷だと明言していることもあるものの「天鼓」つまり金槌のことを指しているのではないかということが言われていて、要検証。
あと気になったのが「野武士」という存在についてで、私も著者さんの言っていたようにいわゆる武士崩れの浪人のことだと思っていたものの、考えてみれば地位制度が確立する以前に浪人の概念があるというのが確かになんだか妙で、これが古い存在だとしたら確かに違和感がある。
そして地域によっては山伏だとされていたり炭鉱夫だとされていたりで突っ伏したわけですよ、全体的にどう捉えていいのかわからないので研究を待ちたい所存!!