『日本古代中世史 '11』#13「地域社会の形成と応仁の乱」

この回の講義を聞いていて室町時代に関してをこの中島圭一さんが担当したというところに深く納得したんですが、いや、中央政権周辺の事情に関してはむしろ若干古い気はしたんだよね、特に足利義政(8代)が政治に意欲のある独裁者だったという辺り。
初期の頃には確かにその可能性がないでもないものの、基本的には乳母なんだか愛人なんだかわからない女性の意向が大きかったとか言われてるしなぁ。
解説で出てきた畠山政長畠山義就をくるくると地位入れ替えていた、と言われていたんですがあれも他者の意向だって聞いてるしねー。山名氏に乗り換えたり細川氏に反発したりとかなんかいろいろとふらふらしてる印象が。
とはいえ、外側から見た姿勢としては間違いというほどでもないし、もうちょっとこう、具体的な証拠が出るまでは確定因子としては語られなくてもいいと思うんですが。

 

そもそも3代・義満、6代・義教の頃には同じ家の分断によって上手く諸大名の勢力を分断することが出来たはずなのにどうして8代・義政の時代にはそれが上手くいかなかったのか、片方の力が弱体化することなく、どうして延々と応仁の乱が続いたのか、ということを中心に語られていたんですが。
(でもよく考えたら何度も家督をこの上の畠山の二人の間で入れ替えていたって言っていたので、その場合は両方の勢力が残って当然だね? 不思議がるほうが意味不明。)
まああれ、14世紀の段階で一旦開拓が行き詰まり、地方再編の動きがあったのち、室町時代の間に開拓の土木工事が肥大化し、つまり家督を追い落とされても十分地方で雌伏していることが可能だった、ということが語られていたので感嘆。
この分析が聞きたかったです、というかこの部分で十分講義1回分以上の価値だな!