『日本古代中世史 '11』#15「地域史への展望」

まあ正直なところ日本中世史のラスボス(現時点ではねー、ご存命の時は網野善彦さんだと思う、前ボス)である五味文彦さんが出てこられたので若干身構えてたんですけども、いや、理論が受け入れられないんじゃないんだよ理論は大丈夫なんだよテーマの時点で振り落とされるんだよ!! みたいな感じの身構えだったんですが。
講義の初っ端からいきなりなぜ宇都宮で駅弁が誕生したのか、というところから始まったので予想していたのに振り落とされました。私大袈裟言ってないよね?!

 

とはいえどうも話したかったのは一つの事情がある場合に、その周囲の他の環境を見て情報そのものが残ってなくても類推することは出来るよー、という意味だったようなんですが、確かに宇都宮と駅弁っていまいち文脈わからないけども、大陸帰りの軍人がいたとか、古代からずっと交通の要所だったとか聞くとそんなに違和感はないのかな。
まああれ、当時あった私鉄(日本鉄道っていうよ)が一番要因として大きいと思うけどね、長距離路線の入り口当たりみたいなことは触れられてたっけかな。
実際にこの回で扱われていたのは常陸筑波山で、鎌倉が敷居が高かった宗教人などもこの地にまず受け入れられてから鎌倉入りしたよー、だとか、平将門の乱の時代からどことなく敗者にも優しい土地だったなど、わりと面白かったんですが、なんでまた日本古代中世史の講義の最後にこれ? みたいに考えたものの、よく考えたら初回からいきなり博多近辺の古代から中世が終わるくらいまでのところが扱われていたんだっけね、この講義、間の回でわりと順調に100年置きに扱ってはいたけど、そういや今川氏だけで講義の8割くらい占めてた方もいたしな。
なかなか面白かったです、一緒に扱った意味があったかどうか微妙だけどww