「遣唐使」東野治之

そもそもなんで遣唐使の本を手に取ったのかの記憶がないのですが、とりあえず図書館に並んでいたからだったような気もします、で、わりと面白かったというか、今まで北九州(必ずこの地が中継ルートになるようです)に頼っていた技術関係の交流に関しても、むしろこっちの正規の資料のほうが辿りやすいかな、と反省中。
鋳物師と鍛冶師が派遣されたらしいことがきちんと触れられているんだね。
いや、北九州の資料読んでると、わりと中央にはないような技術がしれっと使われていたりするので、そっちからでも出てくることは出てくると思うんですが、やっぱり、それなりに体制が整ったら技術取得って発想も出てくるかー。
あとあれ、煉瓦関係の技術者や建築関係もいてもいいような気がするんだけど、その辺に関してはどうなのかなぁ、僧侶が後者をやってるのは見ることがあるんですが。
 
そして遣唐使がなぜ行われるようになったかというとわりとご存知の聖徳太子の書簡がまずあって、なんかその後、なんだかんだと「20年に1度」という頻度で行うことになり、そもそも大陸との交流はそこまで危険でもなかったはずなんだけども、時期が限られてる正使に関してはかなり無理な状況で船出していたために遭難が少なくなかった、と言われてしまって、あー、と。
海路そのものはわりと安定していたはずなんだよね、と言われてしまうとなんとも。
で、その安定しているはずなのにおかしいという意味で南廻りルート(要は北九州を経由しないルート)が想定されたのだろうが、多分それは存在しないだろう、とのことです、なんとなく今まで認識してきたことと変化がありそうだなぁ。
大宰府遣唐使を結び付けた分析とか読んでみたいんですが、ないのかしら。