「院政-もうひとつの天皇制」美川圭

平安後期に摂政関白の制度に限界が来て(いい加減に藤原氏の専横に嫌気が差した、と説明されてますが、それで上手く回ってたら付け込む隙はないわけだしね、弱体化したので逆転されたっていう認識のほうが自然かも)、院政という若干特殊、というより遠回りの制度が始まり。
その中から武士の時代の萌芽が始まっている、ということをなんとなく認識していたんですが、直接どうつながってるのか説明出来るわけでもないんですよね。
ただこれ、よくよく考えれば「治天の君」が一人で政治を行うが、上皇は複数いる、しかもこの治天の君は特に制度で定められていたわけではない、という曖昧な状況だと権力の座から多少無理やり引き剥がされた元天皇なんてのも大量に生まれるわけで、正直、そこが今までの摂政関白ではない新興勢力と結び付いて徐々に力を溜め込んでいってもそれ自体はあんまり違和感がないかもなぁ。
あれですね、後の時代の戦国時代のような複数勢力混在の状態が、天皇家近辺で起こったって見るのが無難なのかも。
そうなると、この頃に各種の文化に強い天皇がちょいちょいいたことも逆になんとなくわかるような気もします、すごく単純化すると権力に関わる関係人数が極端に増えて、自然にいろんな天皇上皇が存在することになった、という程度の意味しかないのかもね。
 
で、財源として天皇の妻の地位というか血統や背景となる経済力が重要になってくるのもこの時代、皇族というだけでは特権的な地位にもなれないし。
それこそ親王って意味だと山のようにいて、後ろ盾がない限り院の地位も得られない。
最初からカオスを目論んでたはずもないし、まあ、副産物なんだろうなぁやっぱり。