「関東大震災・国有鉄道震災日誌」老川慶喜・解説/鉄道省

そもそも当時は東京駅が完成したあとくらいかな? 解説では明治40年に国鉄私有化が完了して(17社の最初のやつ)16年目、などと言われてたのですが、確か省線内の「大家族主義」みたいなのが推進されたのって関東大震災の前のことじゃなかったかなぁ、それに関係した人が関東大震災の直後くらいに亡くなってらしたんで多分そう。

東京駅が出来ているのならば確か山手線と中央線が直通してる時期で(「の」の字運転)、わりと早い段階で分断されたんじゃないかな、総武線が確か電化前のはずなので蒸気機関車はその辺から調達したりしたのかなぁ、路線が無事だったはずなんですが、結構運行本数が少なかったりしたのでいろんな兼ね合いがあったのかも。

救助に来たのはだいたい東北、神戸、名古屋、北海道、のような順番。いやそういえば門司ともあったので九州からもかな。神戸名古屋は水運だったと明記されてたんですが、多分北海道や九州も特に断ってないだけでそうだったんだろうね。

あと新宿から横浜の支援に向かってたのがちょっと印象的でした、震源地は確か小田原のほうだったと思うんですが、この本ではそういう被害の詳細などに関して触れてはいなかったのでちょっとその辺はわかりません。いやひたすら進展具合のみだったので。

翌年1月頃にまた大きめの余震があったり、それまでほぼ記述に登場してなかった横須賀線がどの区間、と断らずに「横須賀線」とだけ復旧に挙げられてたのはあれか、東海道線が優先されたんでしょうかねこれ。

 

あと、熱海線(のちの東海道線ですよねこれ)が1935年、約3年も開通しなかったのは建設途中で被害が大きかったから、とか、確か他の本ではせめて東京駅が出来てて無事で司令塔になったのが良かったってこと言われてたなぁ。あ、歴史頭に入ってる人用です。