『美の巨人たち』P・ブリュナ/E・バスティアン「富岡製糸場」

この富岡製糸場というとかつて官営として作られてのちに払い下げをされたものの、最後に買い取った企業が偉くて特に手を入れることなく保存していたらしく、最近になって世界文化遺産認定を受けたよー、という大逆転をしたところとして有名なんですが。
個人的にはリアル蚕を模したお土産の…ゼリーだっけあれ? 大胆だよね!!
(なんであくまでも脇筋なんだろうって気もしますが、なんか富岡製糸場関係のエピソードって媚びのないところが共通してるよなー、土地柄なのかしら。)

で、作られた時点で明治5年だったので西洋建築である程度のサイズだったものは横須賀製鉄所(なんで造船所なのに製鉄所って呼んでたんだろうね?)くらいしか作った経験がなかったらしく、レンガから日本で焼いたのでいろいろ苦労したそうです。
まあそれでも、建築家はちゃんとフランスから雇ってたみたいだし、日本の大工の技術は木造に関しては実際結構な水準だったのは確かなので、あとは擦り合わせか…どうしても単位が違うのでその部分は純粋に苦労しただろうなぁ。まあ大工なら多少なりと数学センスはあったと思うけどねー、意外と必要なんだよね。で、横須賀製鉄所の現場経験者なども呼び寄せていたようです、なるほどなるほど。
ていうか、木骨レンガ造ってなんだよww 長期保存出来るのかwww
そういや初期の頃よく重要建築の建材として使われていたスレート(硯と同じものだって)ってちょっと不思議だったんですが、そうか、当時はまだ日本の技術だと建物の骨格部分が虚弱で、軽いわりに強度があって加工しやすいスレートがメインになったのか。
レンガまでは多分、苦労はあっても瓦の技術でなんとかなったとは思うんですけどね、うーん、初期の歴史は試行錯誤の歴史だなぁ。しかし、よく残ったよね、本当に。