「多摩の歴史(2 小金井市/東村山市/清瀬市/東久留米市/東大和市」松岡六郎/吉田 格・編集

大雑把に今回は西武池袋線の辺りかな? この前の1巻は中央線沿線で、なんというか正直ちょっと知名度や規模が小さめのところが多かったんですが(行政区分も少し変わってたよね)、ここはすでに昭和50年の段階で全部市制に移行しているし、その後若干地位が上がってるところもあるよねぇ。
わりと好きなエピソードが鉄道が通っても駅がなかったものの、さつま芋を蒸かして鉄道を見に行く人はいても駅でどこかに出ることもなかったので特に不満があるわけでもなく、という一文だったんですが、これ、外の人が言うのと多分ご自分の祖先の人から直接聞いた話だと全然感じ方違うよねww
あと、多摩地域は地名の興りがいまいちよくわからないのは共通なのねー、大字小字、市名に至るまで2つの説にまとまってるのが一番精度が高かったっていう。

名前の系統がちょっと違う中でも、よく京都と間違われるという東大和市のパートが一番面白かった、というか歴史的に興味深かったんですが。
どうもこの「大和」という地名がどこから来たのか本気でわからないながら、土地と密接に結びついているような気がする、というのは、武蔵国分寺が国内最大だったとか、国府がやって来た段階でこの地域に「なにかいた」と伝えられていたとか、多摩川沿いに仏教寺院が伝来して来たとか、あんまり聞いたことはなかったんですが結構説得力あったなぁ。
ていうか武蔵国分寺がいつなくなったのか不明ってよく聞いてたんですが、分倍河原の戦いの時に燃えたって本当ですかね…。正しいとか間違ってるとかどうか以前に推測すら聞いたことなかったんだよマジでw
田無にいた農兵だの八州だの、ちょっと面白そうだったんですが他に資料あるかな。