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「三好一族と織田信長-「天下」をめぐる覇権戦争」中世武士選書31、天野忠幸

とりあえずまず「三好三人衆」という存在でもって名前を知ることになったんですが、これがどうもかなり唐突に登場する。なんでこんな呼び方をされているのかもわからない、この集団らしきものと松永秀久が組んでまず足利将軍を暗殺し。
その後対立して東大寺の大仏殿を焼き払ったんだよ、というのがだいたいの定説。
が、その事件それぞれの意味も正直なところよくわからない。
まずそもそも三好一族を束ねていた三好長慶という人物がいて、この後、一族が完全にまとまらなくなったため代表者が何人かいたのが三好三人衆
この三好長慶足利義輝(13代)と対立し、京都を追放していたものの、命までは取ることがなく、その死後に暗殺が実行された、という認識に進みました。
とりあえず普通の戦闘であって、暗殺呼ばわりもよろしくないのでは、というところまでは知っていたものの、正直松永秀久は息子だけが参加していてそもそもその場に参加すらしていなかったというのは初耳でした、どうなんだろうこれ…。
その後、息子と彼が奉じていた旧君である三好長慶の養子と合流はしているので間違えること自体はそんなに無理もないけどねー。

そしてさらにそもそも、三好家というのがなにか唐突に現れるな、と思っていたらば、足利家から逃げた足利義澄? だっけ逆だっけ、まあいいや、阿波に逃げた足利家に付いた細川家のほうを補佐していた一族なんだとか。
てか、細川の関係ってなんでこんなにぐっちゃりしてるんだよいつどこで誰がなにしてるんだかわかりゃしねぇ!! みたいな気持ちになりました、というか今認識されてる歴史ってなんだか思った以上に怪しいもんだねこれ。