読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『京都を知る100章』別冊太陽スペシャル、別冊太陽編集部

正直なところ東海→関東民という来歴なのであまり京都への憧れや自意識というものに乗っかることが出来ず、「裏路地に入って京都の生活に触れたがる」という観光客らのように通ぶるのもなんかこう、さすがにどうよ、と思う程度の人間なんですが。
そうやって生活があるからこそ観光都市であるというような、ジレンマめいた部分を聞かされるとどうなんだろうなぁ。
観光業に携わる人口がそもそもあまり多くない、多くないからこそ独特の趣があり一強ともいえるほどの観光地でありえるってのはね…。
京都人のプライドめいた部分もしょうがない気がしないでもない、というか。
いっそその高いプライドすら他所から望まれたものかと思うとさすがに物悲しい。
 
洛中だけが京都である、いや祇園祭の範囲だけが、というような都市圏ではよくあるような言い分も、そもそも京都に天皇を抱いていた時代から急に去られることになってしまい。
自分たちのアイデンティティ祇園祭に求めたって言われてしまうとなあ。
なんとなく洛中とか洛南とかの線引きだけではないものは感じてしまうよな。
外側の地域から見ると京都の一部だと考えられるのは仕方ないのかもしれなくても、同じ共同体だと感じることは出来ない、なぜならば、かぁ。
とりあえず私、京都に関しての本をいくら読んでもなんか限られた部分だけ出てくるのが辛いのでこういう総合ボリュームが大きい本に手を伸ばしたつもりだったんですが。
まあ、うん、裏面を知れたって言えば知れたかなぁ。
どちらかというと細かい地理条件や、他の近畿圏との連絡みたいな都市機能的な部分を知りたかったんですが、これもこれで一つの経験だったのかな。

『日本の美術13 水墨画』松下隆章・編

この本の前に同じレーベルで「初期水墨画」を読んでいるんですが、その本を手に取った時点で予想していたのがちょうどこの本で触れられていた冒頭部分、大雑把に室町時代中期から雪舟の登場くらいまでの時代なんですが。
なんでそんな勘違いをしていたのかというと、東山文化の本などを読んでいる段階で水墨画の日本における発祥が室町時代だと勘違いしていたせいで、実際の初期は鎌倉時代、本格的に禅宗が日本へと伝えられた時代だったそうです。
というより、絵師も一緒に日本に来たんじゃないかって言われてるのね。
中国の場合は芸術家というよりも技術者という傾向が強いせいかな? いまいち名乗らないジャンルって少なくないよね。
で、それこそその模倣から始まった日本の水墨画(この時点では禅宗に特有のもの、修行の一環です、禅宗は生活の全てが修行という宗派)が、ある程度純粋な絵として捉えられるようになるまでの経緯がこの室町時代からであって。
雪舟なんかは専門絵師なのではないか、という推測もあるんですね。
というか雪舟って昔は単に絵師だと思われていて「いやいや、禅宗のお坊さんだよ」と言われていたのが少し前からという印象じゃないかと思うんですが。
さらに禅宗の中での専門絵師かー、なかなか大変だなこの人w
 
なんでそう言われるのかというと、結局僧侶としての記録がほとんどないのに、その弟子が多岐に渡っている、絵師としての比重が多すぎるからってことになるのかな。
私正直、狩野派(東国出身らしいです)や長谷川等伯雪舟の弟子の系譜から出てるの知りませんでしたよ…びっくり。

「桓武天皇-造都と征夷を宿命づけられた帝王」日本史リブレット人011、西本昌弘

 

そもそもこの本をなんで読んだのかというと、平安京の作られた時代に最澄空海が世に現れ(最近その二人の天台宗真言宗が「平安新仏教」という呼び方されてるのを見ますが、すごくわかりやすくていいと思う)、どういうわけか修験道役小角もその同時代だと聞いたため、なにか時代そのものに原因があるのでは? という興味が湧いたせいだったんですが、なんのことはない、そもそも桓武天皇の生母の地位が低く。
周囲よりも立場が低いところから帝位に付くにも、その当人の子孫(当時は兄弟間の譲位が普通)に継いでいくのにも政争が避けられず。
その政争の敗者が祟りとなって世に跋扈することになり。
で、その慰撫のために新しい形の宗教が必要とされた、という順序のようです。
わりと順番に説明されるとわかるような気はするものの、不思議なもんだなぁw
 
正直なところあくまで古代の話なので祟りだ御霊だというのを信じてしまうのも無理はない、というのがあまり詳しくない時点での気持ちだったんですが。
あれですね、夏になるのに雨が一滴も降らない、その対策を話し合うための政府高官の話し合いの最中に御所に雷が置いて大臣が死んだ、となるとなぁ…そんな話がごろごろと。
さすがにリアリストの現代人でもそこまで行くと信じても仕方ないよ。
というか、この騒動があったあとで政変の相手を殺さないようになった、というのはわからないでもないですね…(武士政権の台頭の辺りで、長いこと公卿が処刑されることはなかった、というのって、要するにこの時代につながっていたのかもしれないなぁ)。
平安京は苦しい台所事情においても、のちの発展を見越しての作りになっていたのだ、という辺りはもう別にいいんじゃないのかなあ、しかし不思議な時代だこれ。

「日蓮と一遍-予言と遊行の鎌倉新仏教者」日本史リブレット人033、佐々木馨

個人的には日蓮さんならともかく一遍さんに関しては思想部分ではなく(この人、実際思想っていう形で展開してたのかね? よくわからん、残してたものがちょくちょくあるらしいのは聞いているものの)、実際の活動周辺に関してを知りたいな、というつもりで手に取ったんですが、ただ、読んで気付きましたが、この二人を並べて論じるんだと確かに「意外と思想部分に関しては似てるんじゃないかな」というのもわかる気がする。
というより大雑把に言ってしまうと、鎌倉末期の頃の混乱の状況に対しての批判として考えれば浄土信仰への攻撃者(日蓮)も、浄土信仰の異端(一遍)も、その当時の信仰との乖離として捉えることは確かに可能なんだよね。
で、こないだ読んでいた一遍は必ずしも浄土信仰の異端なのではないのではないか、民衆寄りの立場は法然にもあるいは通じる部分もあるのではないか(親鸞が体系部分への完成者であるものの、最初から浄土信仰には二つの側面があったのではないか、という意見ですね)、という立場ともわりと親和性があるんじゃないのかしら。
 
そしてさらに言うと鎌倉幕府元寇があったために崩壊したと説明されてはいるものの、実はそこも確かにダメージではあったものの、ことの本質ではないのではないかという最近の学説も遠くないんじゃなかろうか。
というか、日蓮って確かに反浄土信仰という立場で出て来たものの、あるいは鎌倉時代の初期に生まれていたら普通に法然の系統として活動していそうだよねぇ。
ただ、彼の生まれた時代にはすでに浄土信仰から社会救済の要素は薄まり、体制に対しても既存の宗教に対しても全てに対して批判を行った日蓮宗の出来上がり、かぁ。一方、一遍は全てを捨てて踊り念仏へと至った、と。うん、社会閉塞の申し子だ、両者とも。

「戦国武将を育てた禅僧たち」小和田哲男

この本を手に取った時点でだいたいあの辺が出てくるんだろうなー、と半ば予想してまして(一回でも読んだことある人だとだいたい覚えてると思う、強烈だもん)。
で、やっぱり出て来たのが雪斎さんだったんですが今川家の。
というか今川義元氏の台頭する理由っていうか通り越して原因っていうか。
禅僧であるというテーマからは外れてしまうからあんまり踏み込めなかったんじゃないかなとは思うんですが、やっぱりあの人面白いよね。
そもそもあちこちに禅僧がいることはわかったし、その中ではわりと実践的なことを勉強していた足利学校が評価されていた、というのも正直説明されたら十分理解出来るものの、なんでまた足利学校がそんなことになっていたのかがよくわからなかったし。
あの流行みたいなものがどっから始まったのかも微妙に謎…。
確かに似たような時期に次から次へと迎い入れられているのはわかるんですが。
語られていたことはほとんど全て良かったし、まあまあ、知らないことなどもあって、満足したと言えば言えるんですが、だいたい禅僧たちがどこから来ていたのかのネットワークもわからないでもなかったしね。
ただ、この状況に至るまでがどうしてだったのか、という分析も読みたかったよなぁ正直、というのが本音ですかね。
 
あと、禅僧と言えばぽちぽちと出てくる外交僧なんてのも思い出すんですが、あっちは別に禅僧とは限らないんだよね。
戦国時代に急に始まったのか、それともその前の時代なのかとか、そういうある意味で研究待ちのジャンルみたいなところもあるのかなぁ、子弟教育は大事だよね。

「完訳フロイス日本史(6」ザビエル来日と初期の布教活動-大友宗麟篇1、ルイス・フロイス

えーと、そもそもシリーズそのものが大友宗麟篇をラストに、織田信長篇から始まって豊臣秀吉篇と続いていたんですが、ここに来て1巻で少しだけ見た(確かフロイスさんの来日前後だけ入ってたんじゃなかったかな)時代の続きってことになるのかなー。
というか、あとの時代みたいな偏狭さがなくてだいぶ読みやすかったし。
度重なる迫害やら確かに理不尽な扱い、正直なところあまり治安が良くない中で荒んでいくところを見ていたほうがのちの態度の変化も受け入れやすかったんじゃないのかなぁ…。
まあ、あくまでも織田信長とか豊臣秀吉(なんで徳川家康がないのかというと、その時代になるとわりと記録が残ってるから)の同時代資料として価値が見出されて、そもそも全て読む必要がないだろう、という観点だから仕方ないんだけどね。
イエスズ会の同士が「冗長」って本国送らなかったくらいだから、まあ、うん。
この時代のキリスト教と日本について、という意味だとこの巻は外せないし、今まで若干「この人を信用してもいいんだろうか」と思っていたのはわりと覆った感じです、これだけいろいろ嫌な目に遭ってたらなぁ、確かに気持ちも挫けて普通だわ。
 
この巻では初めて来日したザビエルさんやその有力な同行者であったトーレスさんなど(イエスズ会で良かったよね確か)、本当に初期の話が語られていたり、寺院が実際にちょくちょくやって来た妨害活動なんてのも触れられてます。
あとあれ、当人たちにはその意識はなかったものの、結果的に本国(支援を受けていたのはスペインが主)の植民地支配に間接的とはいえ関与してたことも自覚してたんだなぁ、というのがむしろプラスの意味で評価したいところ。
このあとだんだん日本の文化を見下していくようになるのは、まあ、庇いにくいけども。

『権力の館を考える '16』#11「関西の館(2 紫宸殿・清涼殿」

ところでこの回はだいぶ斜めな感じで聞いているので間違えていたらだいぶ申し訳ないのですが、とりあえず建築の方が「江戸時代に西洋のルネサンス、当時のワシントンでも存在した復古調の流れが日本の京都でもあったんですよー」みたいなテーマだったんですが、武士の方を無視してしまうことになるので申し訳ないですかね? と言い出していたんですが御厨さんにいいんじゃないっすか? とばっさりと返されてまして。
私も多分武士系の血筋ですけどもいいんじゃないかと思います、だって特に返るような時代もないしねぇ? ないんだったら気にしなくてもいいと思うんですけどね。
ただ、建築研究の人って上品だよなぁ、とは正直感心してましたがw
 
そもそもこの話は平安神社から始まりまして、幕末だっけ? いや違うな内国博覧会だから明治か、その時に作られたパビリオンが元になっているようで、ただ、意外とちゃんとした資料に基づいているんだよー、ということが語られまして。
その資料となったのが上で触れている江戸時代の平安復古の流れ、そもそも王政復古を唱えていた学者の流れが朝廷のほうでまず存在し、そこに連座した学者が存在、その学者が30年後、建築によって成し遂げたのが平安建築だった、というような展開だったのですが「幕府がもし建築に力があると思ってたら、建築も咎められたと思うんですよね、ところがどうも建築費用くらいしか気にしてなかった気がするのです」みたいなことを言っておられまして、建築の研究者としては咎められていて欲しかったって言っておられました、なんか可愛いこと言われてますな、とだけ思いました!
そしてそもそも復古の気概は近代意識の始まりなのではないかと語られていたんですが、あ、あー、それは面白いかも。アイデンティティの確立か、面白いな?