『沸騰都市』#4 イスタンブール 激突 ヨーロッパかイスラムか

ケマル・アタテュルク−Wikipedia
一言でトルコの“現状”にあまり危機感を覚えない理由を表現すると、比較的事態がはっきり見通せるから、ということになるのではないかと思うのですが。えーと、なんというのかなぁ、「取りこぼされた人」がいないというか、不満の比較的穏当な表出の手段がちゃんと存在しているように思えるんですよね。
デモって正直、まともな政治的行為でしょうが、テロルのほうがいいんかい。
(日本人の母上もなによあれ、と顔をしかめてましたが黙らんかい。)


ちゅーか、イスラム教を分離することによって(しかも永遠に)、近代化を図ったというかつての大統領がこの回、というよりさすがにそう誤解もなくこの現代のトルコという国の焦点であろうと思うのですが。
現状維持にしてもそうでないにしても(もちろん、イスラムに寄らない勢力の排除の口実として使われるべきではないというのは当然のこととして)(現在の繁栄や安全からして危なくなるじゃん)、今の人らによって決められるべきなんだろうとは思います。
どんなに偉い人であっても、それが過去どれほど有効でも、神聖ですらあったとしてもそれでも「今」のほうが重要だと思いますし。
ただ、それが価値あるものであったら、それを否定するのに障害や反対が存在するのもまた自然なことなんじゃないのかなぁ。ただ、反対勢力を“野蛮”とか表現するのは止めたほうがいいとは思いますが(どっちもな)。
イスラム教は生活宗教、足枷になることはわかりますが、でも貧しい人や取り残される人は減るのは事実なんだし、うん、資本主義と両立したらいいんですよ。ゆっくりと。