「安田善次郎-果報は練って待て」由井常彦

私立銀行では特別な存在である三井銀行に続いた安田銀行に関わったのが吉田善次郎。
国立銀行では1、2、4、5の特殊な銀行に続いての法律改正後(資本などの条件が厳しすぎて銀行設立に至らなかった)の復活のち最初の第三国立銀行安田銀行を同時に作った、と言われてるんですが、そうなるとここも普通の銀行じゃないっぽいなぁ。
国立銀行条例153行が終わるまで私立銀行の設立には至らなかったらしいしね。
ただ、そもそも最初の国立銀行設立の時点で誘われていたのにそれを受けず、国立銀行による紙幣の発行でインフレになった状況を収束させるため、日本銀行理事への参画を名指しで要請されたって時点で「一般人」であるはずもないか。
(ただ官僚ではないです、幕末に横浜の貿易に関わって台頭した為替商出身で、為替方という公金を扱う役には付いていたっぽいけど、中央じゃなくて地方だなこれ。)
そういや明治初期に太政官札や藩札などの救済前に政府から情報を得ていて、その積極的な買い入れによって利益を得て巨額の資産を作った、という噂は信憑性が微妙らしい。まあ、当時は皆そんな感じだしね、そこで生き返ったのは事実らしいんだけどね。

よくコンクリ産業と京浜工業地帯に関わった浅田総一郎とのコンビが語られていることがあるんですが、この本で出て来たのは雨宮敬次郎。関東近郊のわりと小さめな鉄道と資本家らが関わった話全般に少しずつ触れていた感じかなぁ。
それと安田財閥は基本的に金融メインで、工業に関しては補佐すればいいという方針だったとは聞いていたんですが、初期は金融以外に油売りを一緒にやっていたし、工業系を志したこともあったようなので向かないからって金融に絞ったんかもね。
この人自身の行動よりは、人間関係が重要っぽいな。もうちょっと資料欲しい。