『権力の館を考える '16』#7「首相の館(2」

結局この講義の中でも触れられていたように「池田勇人と言っても今の若い人はご存知ないかもしれないが」ってのが正直なところ私も該当していて名前は知っているもののなにをした、という印象がない人なんですよね。
あと、佐藤栄作はなー、どっちかというとよろしくない印象がある気がする。
(実際のところ、結構悪くない政策にも関わっていたようにも思うんだけどね、晩節を汚したというかなんというか。)
池田勇人氏は要するに戦後の最初の総理大臣だということなので、えーと、敗戦処理していたってことか、それは少なくとも印象が強くないってのは申し訳なかったかもしれない、彼が前田家(加賀百万石の前田家)からの別荘を借りていたというところなんかは前に聞いた、えーと、あれか、吉田茂の別荘(こっちは朝香宮邸)に確かにちょっとコンセプトが似てるような気はするものの、陳情などに関しての段階はあるもののほとんど誰でも構わず迎え入れていたと聞いて、あー、という気分に。
娘さんや奥さんに負担が掛かっていたってのも、今の時代に聞くと複雑な気持ちにもなるんだけどさ、それが戦後すぐって言われるとなぁ、なんとも。
とりあえず政治家が人間集められないと話になんねぇ、という方針も含めて、いいんじゃないのかなぁ、日本を支えてた気もするし、そこから生まれたいろんな人材もあったんじゃなかろうか、これ。
 
佐藤栄作さんは中央線沿いから車通勤を考えた政治家っぽい、実際岸信介さんの家があったような土地へと鞍替えしたらしく。
吉田茂さんが弟子の佐藤栄作さんよか池田勇人って言ってたわけもわかるな…。

「秀吉の出自と出世伝説」歴史新書y038、渡邊大門

ざっくりとまとめると多分秀吉は若い頃に薪売ってたことはある、あと針売ってたこともあってもおかしくない、完全な武士の家系ではないだろうね。
阿弥号を持っている人物はまあ別に、時宗の人らなんでそこらにいてもおかしくはないんじゃないのかなぁ、同朋衆どうのってのはさて置いてね!(そこで挙げられてた人物が同朋衆なんか持ってたかなぁ、みたいなこと言われてましたが時宗で阿弥号だからって適当に話付けられてた気はする)
それと母親が再婚をしてる、あと時々木下という名字が父親に乗せられているものの、これは奥さんのねねさんの由来だから違うってことで妥当じゃないのかな、という辺り。
何人かが触れてましたが、正直だいたい知られてるっていうか知ってるよな。
 
個人的には士農工商とばっつり別れてるわけではないので、これ以上を細かく突き詰めても意味がないんじゃないかというところに同意なのですが。
秀吉が自分の母親の異父の兄弟姉妹(上で出てきている再婚相手は別)に対して虐殺に近いことをしているのだけはよくわからないなぁ。
自分の身分を隠すための行為だったのだ、とは言われてるんだけども、その前後の詳細が完全に噂として伝わっていて一度でない、となるとなぁ、そこが動機と言われてもさすがに微妙、ただ、逆に、まともに前後が説明されていないところから作り話とも思いにくいよね、作り話ってもっとすっきりしていてわかりやすいものだし。
で、その辺りをもってして彼の「暗い」という性格の根拠となっているようなのですが、どうなんだろうねそれも、明るい庶民的な、というのが疑問ってのはわかるんだけどね。
暗い性格で上司に受けるのって下であればあるほど不可能に近いよなぁ…。

『日本の美術129 中世の神社建築』福山敏男・編

このレーベルの神社や寺院の建築に関してはぽちぽちと見てきているんですが、この時代区分に関してはどうかなー。
どういうわけか吉田神社の話を延々と聞く嵌めになっちゃったんだよね。
吉田神社ってのはまあ、なんでやたらと存在感があるのかがわからなかったんですが藤原氏氏神だったのね、春日大社があるじゃないか、という意見もあるんだけども、あれは奈良にあるしなぁ、京都に新しく作られた春日大社(ここも勧請された側なのであんまり妥当な表現でもないのかもだけど)の分社みたいに考えればいいのかな? ただし本社との関係は切れ気味、と、まあ京都にあるとそうもなるかもなぁ。
そして江戸時代には吉田神道とまで言われるような神道優位の展開をしていったという認識でいいのかしら、ということは当然、本拠地は江戸なので、うんまあ、中世の頃の建築としてのモデルケースという出すにはいいんじゃないかとは思うものの。
こういう若干の特殊例に話が終始してしまって、それが神道全体への言及へと広まるわけでもないってのはなんというか半端な感じ。
いやまあ、あくまで建築の本なので神社単体の事情以外は関係ないということなのかもしれないものの、影響下にある場合、多分建築様式にも関わることあったろうしなぁ。
大寺院なんかのお下がりを受け取るケースってわりとあったよね、吉田神社にその手の展開があったかどうかは微妙ですが。
 
あとは権力者御用達で民衆の人気はなかった後白河法皇の新熊野、新日吉、粟田神社だとか、写真に多かった八幡関係は武士らが作ったって認識でいいんだよね、中世だし。
神社建築で「中世」という区分がね、やっぱりいまいちだったのではないのかな…。

「戦国の陣形」乃至政彦

正直なところその後の展開で(「ライダーキック」は別にいいよ古いし、「ティロ・フィナーレ」ってww 最近の魔法少女アニメww)、半ば記憶がすっ飛んでしまって本題部分を忘れてしまったものの、戦国武将らが戦場で必殺技のように陣形を認識していたのではないか、というのはわりと面白い気がしないでもなく、逆から言うとたまに出ればいい、と。
そして陣形として構成されるほどに兵士の練度が高かったのは上杉と武田くらい、あと北条もそこらとぶつかる関係で多少は出来たのかな?
そしてこの本ではないものの、別の本を考え合わせると練度の高い部隊に対し、経済商圏を掌握して大量の銃弾の補充作戦にて武田氏に勝ちを収めたのが信長・家康連合かぁ、世知辛いっていうか切ないなこれ…。
要するにざっくり考えると練度をひたすら上げていった日本軍と、素人を動員してもそれなり以上に戦える物量作戦で撃退したアメリカ軍ね?
(繰り返しますが、上杉と武田のみが陣形と言える程度に軍隊が整備されていたというところまでしか本の中では語られてないですよ。)
 
で、そうなると一体またなんで陣形というものが至極真面目に論じられていたのかというと、いつものごとく戦国時代に一部ではったりとして展開し、近世江戸の太平の時代にその資料を元にふんだんな妄想と共に娯楽として作り出され、そして近代において軍部において大真面目に研鑽されて絶対視されるようになった、といういつもの展開らしいです。
なんかもう、この展開最近慣れました、順番に資料当たれば判明するまでがお約束。
まあ、現代も娯楽の一部として展開しているのでマシっちゃあマシなのか。
そして、この本の成果の一つが2016年の『真田丸』だったのかなあ、今後が楽しみ。

「鑑真」人物叢書、安藤更生

一応鑑真という人の名前と渡来人だということくらいは知っているものの、小説のおかげだよありがたや、と言われていたのは若干否めない部分はあるかなー、という気もしないでもなく。
正直この間なにかで見掛けるまで聖武天皇の時代で、東大寺大仏開眼だったっけ?
に参加しているということを認識していませんでした、いやでも、確かによくよく思い出してみたらそういう文面見掛けてたわ。
あと、その時点で僧侶や職工なども連れて来てくれたので、その後の美術史にも多分影響しているのではないのかなとは言われていたものの、なにぶん聖武天皇だとそこそこ変化する要因が少なくないから明言されてない限り立証は難しいかもしれないなぁ。
ただ、そういう人材がいたことだけは間違いはないようです。
まああれ、度重なる渡航失敗により、結構な人数が沈んでしまったようですけどね…。
とても、勿体ないと思います、職工って技術を持った貴重な存在だったよなぁ。
 
この本ではわりと中国サイドでの動きが描かれていたのが特徴なのではないかと思うのですが、李林甫ってあれか、玄宗皇帝の時代の人か、ちょっと馴染みがある名前が出てきてびっくりしていたのですがこの人はどうも日本への来航を応援していてくれたらしく。
しかし、反対派にはどうも事欠かなかったようです。
それとこの本ではあまり重要視されてませんでしたが、どうも聖徳太子が中国の結構な高僧の生まれ変わりだとされていたらしく、その国に行ってみたいという動機があったらしいことも触れられてました。
日本に来てからの業績が意外と空白あるんだね、でも高齢のわりには活動的かも。

「日本刀物語」目の眼ハンドブック、杉浦良幸

この分野を読み始めた初期の頃に同じ著者さんの本を読んでいて、その時点ではあまり感慨がなかったのですが、もともと門外漢の人なのかな? 多分中でがっつり関わっているとなかなか言えないだろうことまでずばずば言ってくれているのでだいぶありがたい。
そうなんだよねー、異説があることが異常であり、その異説があることにはなんらかの合理的な説明が出来るんじゃなかろうかというスタンスで個々の刀に関わっている人たちをちょくちょく見ることがあるんですが、異説あるほうが絶対的に多数派だよね正直…。
これだけの刀がこれだけ異説持ってるのを見て、なにかを感じ取れるんじゃないかなという期待をちらほらと。
私もなんとなく奥歯に物が挟まった言い方してますが。
ものすっごく標準的なデータの刀がどれほどまでに特別なのか、なぜならばこの説とこの説が合わないみたいなことを言われても、普通だし。
ぶっちゃけ刀どこからどこまでが同一だかもわからんよね、本の中でも言ってるけど。
あと異説も、大きく別けると3つとかそういう勢いですよね。
それとあれだ、鑑定って何回も変わったりするけど別にそれだってそんなに深く気にすることないというか、刀工がよくわかってないレベルで情報も銘のある刀も少ないのに「刀工単位のランク分け」はされているという時点でもうなんかシステム破綻してるよね…。
ただ、別に近代以降に作られたわけでもなく、前近代から引き継いで来ただけなので責めちゃいけないんだけども別にそのまま引き続いて信じる必要もないよね…。
 
というか、他の人たちも明言はしてないんだけども、奥歯に物挟まってても一応伝えようとして来てくれてますよね…、はっきり言ってくれてる人ありがたいよね、うん。

「完訳フロイス日本史(5」「暴君」秀吉の野望-豊臣秀吉編2、ルイス・フロイス

正直だいぶ今までと比べて読みやすかったんですが、記述に関してはどう読み取っていいのかが微妙というか、インド副王の使いだのポルトガルからの使者だの、多分これ、世界史のほうの知識がないと読み取れないんじゃなかろうか、いうところがぽちぽち。
いや、私にしたところで間接的に聞いている時代と近いかどうかという程度でかなり曖昧だったので、それこそリアルタイムで読まないと駄目かもなぁ。
そもそもフロイスさんが属しているのがイエスズ会。
フランスとスペインの合間にあるピレネー山脈などの印象が深いんですが、確か、どこの国とも完全に深い関係にあるわけではないんじゃなかったっけか、ただ、非キリスト教圏への布教に関してはスペインの庇護を受けていた、という話じゃなかったかな。
そこまでは自信があまりないんですが、南米などでは庇護していたはずの現地の信者を奴隷として連れ去られて「悲しそうに見送っていた」という記憶がないでもない。当人らにはどうも悪意はないようなんですが、結果的に侵略の道具として使われてしまっていたんじゃなかったかなぁ。
で、その辺の情報がどうも日本にももたらされていたらしいことも貿易関係で聞くことがあるので、まあ、それを加味すると本が読みやすくなるかなぁ、と。
 
インド副王は確かイギリス、ポルトガルとは南米の地で揉めることもないでもなかった、という記憶なんですが、かなり長く日本にいたフロイスさんがそれこそその辺は認識してたかどうかが微妙だよなぁ、インドのほうは自分でも自信がないですしw
そして朝鮮征伐に関しても、あんまり政治に興味なさそうで、ほとんど現地の話を鵜呑みにしているような様子、ただ、書いてある現地の事情なんかはほぼ信用出来そうね。