『21世紀仏教への旅』5、“他力”への対話の旅・日本/アメリカ

アメリカ人の俺が俺が俺が! というのは、歴史に裏打ちされて、というか、単に彼ら個人を律する精神性としては正直微笑ましいんですが(第二次世界大戦とか見てると本当にそう思いますよ、無関係の善意の人っつったらまず国籍アメリカ人)(しかもボランティアの人とかじゃないんだ、一定以上酷い状態になると商売とか放り出すんだ彼ら)。
しかしだ、五木さんを説得しようたぁ、いい度胸ですよね。いくらなんでも。


と、いうのが親の愛を与えられない子どもを救う施設も今度作るんだ、俺が救うぜ、皆付いてこいや! という本を書いている人だったわけですが、概ねあれですね、「でもそういかないこともこの世にはあるんですよー」というのは仕方ないことで。
で、五木さんいわく。
いやー、アメリカで“他力”の本なんか出したところで、袋叩きにされて終わりだったかなー、と思ったらなんか妙に諸手を上げて受け入れられてしまいまして、今回初めてこんなふうにそれは違うぜ! と言われましたねぇ、とほくほく喜んでました。
いや、表面上は和やかでしたけども。
つーか、五木さんは見た目だけでなく和やかだったっぽいけど。


ある意味で、柔よく剛を制すって感じなんですね、国民性の違いですね。
でもまあほら、いろんな人いるからな、アメリカな。
他力ってのは自力の反対の言葉だろうと思うんですが、絶望の中でしゃあねぇかと受け入れるのは、全て投げ出すこととは違うんだろうとシロウトは思います。アメリカさん。
つい最近まで宗教必要なかったのかもね、彼ら(911以降って言ってましたが)。