『爆問学問』#25 佐々木健一(美学)

“人類の希望は 美美美 (ビビビ)”、とりあえず、市販の便器をひっくり返して台に置き「聖なる泉」などと言い張って美術展に出展したという例は漫才師の太田さんたちにはいまいち受けが悪かったわけですが、その道の人々はそれをターニングポイントだと考えているのだということなのですが、まあ最初だしね、一般人は知らねーぞ? と太田さんが言うというその温度差からしてなんとなく美の在り方を表しているような気もするのですが。
しかし逆に、醜い女神の像でもって自分が汚れていると思っていたところから救われた遠藤周作さん(キリスト教関係の小説や書籍でちょっと有名な人ですね)の話なんかを持ち出したのは太田さんだったわけで。
要するにそれ以前にある“権威”やそうあらねばならない、という抑圧を感じているかどうかなのかなぁ、ということを考えてしまうわけですが。
要するに美術展の便器を褒めた人たちはそれまでの美術展の抑圧を知っていて。
太田さんが感じていたのは遠藤周作さんが感じていた苦しみを理解するが故にそれを評価するのかなぁ、ということを考えてしまいます、でもこれ、どっちも破壊者としての醜さや無価値、汚れという点では同じだよね。


でもねぇ、そもそも、それが抑圧を伴うまでに確固としたシステムにまでなってしまうのは、「美」が人に共感を得やすいからではないからじゃないかと思うんですが。
そもそも価値がなければそこまで成長しない気がするのですよ、薬の副作用と同じ。
だからこう、今未来を作るのに必要なのは美じゃないか、という先生の言っていることがわからんでもないのですよ、権威そのものが醜いとされて美しいということが悪いとされて、秩序がないのならまあ、しばらくは美に拘ってもいいんじゃないかしら。