「首都防空網と〈空都〉多摩」鈴木芳行

首都防空網と〈空都〉多摩 (歴史文化ライブラリー)

首都防空網と〈空都〉多摩 (歴史文化ライブラリー)

多摩というのが具体的にどこかというと(近隣だと多摩ニュータウンなどは聞いてる気もしますが)、大雑把に東京都の23区外のことで、まあ、実際歴史的に考えるともう少し広いもののこの本で指す地域としてはだいたい重なってますね。

正直、新宿寄りとはいえわりと近い土地に住んでいるせいか読んでも読んでも基本的に知ってる地名しか出てこないのでちょっと気が滅入りました。

 

もともと所沢に本拠があった陸軍の航空隊が便利な立川のほうがメインになってきて、八王子市は昭和恐慌を境に急速に工業化し、それらが時期的に上手く合致したのか、多摩の地に次々と工場と飛行場が連鎖的に作られ。

いつか自然発生的に“空都”多摩、と呼ばれるようなことにもなっていたという話。

そもそも所沢が不便で立川のほうが使い勝手が良くて、と言われると、ああ、西武(当時はまだその名前でもないけど)から中央線に来たのか、と考えるのは近所だからのような気もしますが、日本で始めての飛行が所沢の予定が急遽代々木になった、というのはさすがにちょっと鳥肌が。代々木、代々木って新宿と渋谷の間だよ怖っわ! 実際のところは当時特に周囲が拓けてなかったんだろうな、とは思うんですけどねー。

真珠湾攻撃ののち、アメリカは不参戦の方針を翻し、日本上陸し本土攻撃を、というのは普通に歴史の話(先の真珠湾攻撃への報復だと見るのは独自見解とは言ってたけどね)。要するに多摩の航空基地は東京市街地を守るために配備されたものであったため、まず狙われて壊滅に近い状態に陥り、その機能を奪われ、そして東京大空襲、市街地への無差別攻撃、という説明を今まであまり聞いたことがなかったけれど、多分そう見当違いでもないと思う。

東京市街地よりずっと長い間攻撃に晒されていた土地が、なんで重要視されないんだろう。