「銀鉱山王国・石見銀山」遺跡を学ぶ090、遠藤浩巳

銀鉱山王国・石見銀山 (シリーズ「遺跡を学ぶ」090)

銀鉱山王国・石見銀山 (シリーズ「遺跡を学ぶ」090)

 

 

石見銀山の名前そのものは知っていたものの(そういや世界遺産登録されていたっけね)、その政治的な意味などは聞いたことがなかったなぁ、と思っていたんですが、どうもここが複数の権力者の手を渡り歩いたということをちょっと検索してみたら出てきたのでなんとなく納得。本の中でも明治初期のコストと採掘量が見合わなくて閉山、なんてわかりやすい時期のことは触れていたしね。
タタラと鉱山採掘がどうも別の集団によって行われていたようで、タタラのほうはもしかしたら時期によって変遷があったんじゃないのかなぁ。でも、トンネルの断面などを見ている分には統一意思があるような気もするんだけども、この採掘をやってた人はひょっとして鉱山の持ち主そのものが変わっても変わらなかったんじゃないのかしら。
(正直これだけ技術高いと明治初期のトンネル掘れるな、という域だと思う。)
そうするとひょっとして、ところどころで触れられていた周辺の宗教施設がその中核になっていたってこともあるんだろうか。「清水寺(せいすいじ)」の名前が挙がっていたんですが、僧侶が自然科学の知識を持っていたってのも面白い話だよね。
佐毘売山神社もその周辺に鉱山町が広がっていたとか、無事を祈願していたんだとか。

精製に関してだと朝鮮半島からの「灰吹法」などが語られていたんですが、タタラのほうは最近ちょっとずつ研究が続いてるけど、穴を掘る技術のほうはあんまり研究されていたりまとめて語られているのを見たことないんですよね。
実際、結構無造作に掘られててあとの技術で掘りなおして採掘可能になるなんて鉱山だと無理もないんですが、採掘以前に自然銀山として知られていた土地で明治の欧米の技術を導入しても駄目だったとなると、それはちょっとした技術集団だったと思うしねぇ。