「世界航路へ誘う港市・長崎・平戸」遺跡を学ぶ038、川口洋平
シリーズ「遺跡を学ぶ」038 世界航路へ誘う港市・長崎・平戸
- 作者: 川口洋平
- 出版社/メーカー: 新泉社
- 発売日: 2007/07/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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前から九州の大宰府、博多なども読んできて一番印象的だったのは「平戸がむしろ自然港なのではないか」という辺り、で、長崎のことを政治によって動かされた港だよね、ということを示唆していたのですが、あー、確かに。
要するに長崎の出島とか、中国人館とか(最初は放任、のちに人数が増えて管理下に)、貿易関係者を管理するのに自然港だと無理があったと考えるとわかりやすいよな。
政治っていう表現をしているものの、あくまで地形に即してるので説得力があるな。
で、この本では特に触れられていなかったものの、大宰府や博多に関しても港としての有利不利というよりも他の事情によって移動が起こったんじゃないのかなぁ、と読んでいたのですが、そのほうがすっきりする感じ。
というかこの辺の土地って、ある程度手を入れれば港として使える地形多いのかもな。
前に、東京国立博物館で主に長崎で発掘された日本のマリア信仰関係(要するにキリスト教が禁令になる前後のもの)の展示を見ていたんですが長崎奉行の土地にあったというものが妙に綺麗な形で出てきていて「管理でもされてたの??」と思ったんですが、逆だったみたいです、早い段階で破棄されていたので綺麗に残ってたんだね。
ただ、綺麗な形で残っていたということは、全く信仰心のない人間が乱雑に扱ったんじゃなくて、手が入る前にある程度親近感がある人間が埋めた可能性もあるのかもなぁ。
キリスト教の信仰がなくても、他の信仰にわりと寛容な土地柄だもんね、日本人。
特に長崎の土地だとなおさらね、むしろキリスト教徒は普通にいたはずだからそのせい? とも思ってましたが、確かに量がだいぶまとまってたから推測が甘かった。
しかしこういうレベルの土地でも記録は曖昧で発掘待ちなのか、大変だなぁ。