「フランスの中世社会−王と貴族たちの軌跡」歴史文化ライブラリー216、渡辺節夫

当面とりあえず「封建社会下においてレーン制は成り立つのか」というのがどうしても頭から離れてくれないんですが、要するに“レーン制”というのは自分で主君を選ぶことで(唯一の相手と行う臣従の例であるオマージュと対比されてましたが、レーンってのは実際に呼ばれてたわけではないんじゃないかなぁ?)、時に複数の主君を持ち。
封建社会のピラミッド的な権力構図にはならないため、命令の一元化(例えば戦争)をする場合、さて一体どうするのか、ということを考えた場合。
国王が主君の中に含まれる場合に国王が最優先になる、という優先権があったんじゃないのかなという結論に至る、という流れになっていたんですが。
ここまででわかっていただけると幸いなんですが、歴史の本というより、諸制度の研究書ではないかと思います。題材となっているのは中世のフランス。


シャルルマーニュと呼ばれる(フランス読み、ドイツ読みでカール大帝)人物を排出したカロリング王朝からその次のカペー朝までが主で、まあやっぱり制度の本ではないかと思うんですが、あと扱われていたのは儀礼かなぁ。
上のレーン制やオマージュもそうですが、フランス(カロリング朝時代はフランク王国)の場合、王権の移動が力と儀礼の二段構えになっていて、カロリング→カペーの時点では直系が途絶えたものの王族が残っているにも関わらず有力な家系に王位が移動。
(ただ、カロリングの血統を女系で取り入れるということが意識されたようです。)
カペー(同じく直系の男子が断絶)からその次のヴァロア朝の時には女系を排除し、一番近い男系へ、という流れが説明されていたんですが、明らかに時代時代で理屈が違う。
なにが起こったのかは正確でしたが「何故なのか」は研究待ちなんでしょうか。