『八重の桜』#49 再び戦を学ばず

男性陣が軒並み(というより本当に次々亡くなってたみたいだよなぁ…)臨終に至る、というこの回を見ながら「どいつもこいつも艶のいい肌だな?!」とか叫んでいたのは本当に余計なことなので気にしちゃ駄目なんですが、むしろ私がそろそろごほごほごほ。

『八重の桜』ってやっぱりこう、停滞してる回とかにやたらと好きな話があるっての、結局最後の最後まで貫いていたよなぁ、という気もします。

会津の人らが少しずつ全員が立ち止まって、本当に我ら“だけ”が正しかったのかとか、そうやって考えているこの回も好きだし。若かった覚馬さんの新しいことを進めようとするとよってたかって邪魔をされる、蹴散らして進めって回も。京都の保守的な人たちに石を投げられても、それでも恨むことなく、それでも着実に歩を進めるしかないよねぇって新島襄さんの回もどれも好きだったなぁ。

これもちろん全部ベクトルは違うし、表現も心根も違うんですけど、全否定とか全肯定がそもそもあんまり好きじゃないんでしょうね。多分私。

その上で、忠勤の心根だけでは駄目だった、それを証明することで新たな戦の火種となってはならなかった、けれど忠勤の証だけは否定させないっていう、この回の若殿さまの態度はやっぱり好きだなぁ、涙が出ます。この人の選択肢でもしかしたら戦が回避出来たのだとしても、それってやっぱり後世の後知恵って気もするし、人として責められることだけはしていないって言われたらそれもそうだよなぁ、と思います(この大河に詰め込まれたことと世にわりと知られた情報だとね、もっと他の事情もあるのかもしれないんだけどね)。

ただ、会津にだけ止められたかもしれないってやっぱり思うんだよな、少しだけ。

 

日清戦争が始まって、正義は一つじゃないって過去が来る展開はやっぱり悪くないよね。