『世界わが心の旅』#6 インド 慈悲と瞑想の大地

ラビンドラナート・タゴール−Wikipedia
あー、タゴールさんや岡倉天心さんて名前しか知らなかったんですが、前に読んだインドの経済学者(アマルティア・セン氏)の流れというか、影響というか、彼が始めたのだかわかりませんが、インドにこういう伝統的な考え方ってもともとあるのかなぁ?


歴史家・色川大吉という、ちょっとやそっとでは忘れにくい名前をお持ちの旅人は、明治の岡倉天心の足跡を辿りインドのベンガル州カルカッタに行かれるのですが、そこに5世紀頃建てられ12世紀にイスラム教徒に破壊されるまであった仏教大学の遺跡を見て「別にヨーロッパに文明求める必要もないよなぁ」と言われます。規模一万人ほどで、私も玄奘三蔵の本で読んだことあります、外国からの留学生も大量にいたのだとか。
日本の場合は概ね中国と、場合によっては朝鮮半島も経由してますが、基本的にアジア圏って文化交流盛んなんですよねぇ、チベット系仏教まで入ってますし、名前や体系は変える癖がありますものの、日本ってやたら物持ちいいからw
んが、そんな前提の“アジアは一つ”だという自然な気持ちから発せられた天心さんの言葉は、しかし後に大東亜戦争、侵略し力で一つにしようとする発想として使われました。
後の日本の歴史っていうか発展というか、西洋化は説明するまでもありませんが。
今でもインドの地ではガンジス川で死んだ人の灰が流される脇で子どもが遊び、特に隔てられているような様子もなく。生と死がその辺に当たり前にあって、皆死んだのち同じところに行ってこの世に戻り。ぐるぐる巡りながら高みの地を目指すのだそうですが(仏教の考え方と同じ? 輪廻転生から抜けるために徳を積むの、最終目的はこの世からの解脱)。
まあ、色川氏も文明社会にいるわけですが、それが絶対だと思うこともないよな。