『食彩の王国』#188 絹ごし

大豆を潰し水を加え、越したものが豆乳。
そこににがりを入れてから直接型に入れて作るのが絹ごし豆腐、一度固めたものを崩して型に入れるのが木綿豆腐。えーと、豆乳が出た時のがおからでしたっけ。
いや、いざ書こうとしたらその辺がわからなかったんで調べなおしたんですが。
ところでなんで絹とか木綿とか呼ぶのは依然として謎です(調べろよ)。


てゆーか、江戸時代に江戸に渡ってきたきっかけはわかったものの。
どこのどいつが作ったんじゃい、というのが説明されてなかった気がするのですが。単に江戸周辺の史料が多いというだけのことなのかなぁ。
にがりを使うのが一般的だと思っていたんですが他にも例があるみたいで。
京都で紹介されたのは≪森嘉≫で作っている「すまし粉」、あと寒天で固めてるところもありましたね。すまし粉というのはそれこそ豆腐を固めるためのものらしくて硫酸カルシウム、成分的には石膏に近い? 戦後から使われてるらしいです。
にがりは塩化カルシウム、、、除湿剤か(知らなくていいかと...orz)。


えー、豆腐そのものは稲作が伝わってきた頃からあったらしいのですが、食べれるのは貴族や高僧だけ(坊主もか、てか大豆自体の普及率はどんなだったんだろうね)。
高貴な食べ物だった模様なんですが、案の定江戸時代に一般庶民にも食べられるようになり、京都からどこぞの皇族が持ってきてくれたおかげか絹ごしも江戸に来てましたし。まあ大抵江戸か明治期だもんね、この辺。そうでなきゃ戦後だ。
桶で作った湯豆腐専用道具可愛かったよね。