「この人この世界」ニッポン近代化遺産 #3 閉ざされた銅の山、忘れられた島―別子銅山、四阪島

現在は閉鎖された銅山地域で、、、ああ、今も他で掘ってるのか。
前に『世界遺産』で石見銀山の番組を聞いた時にも思っていたんですが日本の鉱山って職人が管理しているというか、ある程度の健康被害を覚悟の上の高給取りだったようですね(西洋なんかだと児童等の強制労働がすぐに思い浮かんでしまうのですが、いや、日本に強制労働がないという意味ではなく、すでに技術職であった、と)。
わりと古くから開発され、周辺の町も含め、非常に発達していたそうなのですが、明治直前に広瀬宰平という人物によって精錬所が作られたことによって状況が一変、周辺に対しての亜硫酸ガスによる環境被害がかなり酷かったようです。環境問題って無視できるものと無視できないレベルがあってね、どっからどう見ても目に見えて、というものを放っておくというのはかなりよほど状況が特殊じゃない限りないですよ。因果関係がわかりにくいものはかなり揉めますけどね。


で、ともかくも精錬所を移すことにしたのが近郊の無人島。
四阪島−Wikipedia
ところが周辺山地だけが被害にあっていた前と比べて、海を伝わってガスが四散し、ますます被害が拡大してしまったという皮肉な状況、さらに逃げるわけにもいかなかったんでしょう、ずっと対処に取り組み続け、結局、処理工場を作って無害化するまで公害との戦いは続いたのだそうです。
島にもその後、町が作られ、最盛期には千戸の住人を数えたそうなのですが、工場の新設、産出量も減ったのかなぁ、もともとの住人がいないこともあって昭和63年には人口ゼロに、今でも往年の島の人々は集まりを行うこともあるそうなのですが。