「この人この世界」ニッポン近代化遺産 #4 山林王の奇想の邸(やしき)―桑名、諸戸邸

借金から始まった(自立後)人生といい、成長後もばっちり締めるところは締めていたところといい、人生の終焉間際の水道敷設工事といい、起承転結が些か完璧すぎるような気はしないでもなく(んにゃ、教育や環境には前向きだったそうっすが)。
諸戸清六 (初代)−Wikipedia


んで、少年時代を取り戻すかのようにだだっ広くて豪勢な屋敷を作ったのかと思ったら、塀の内側に堀を作り水を入れ、魚の養殖をし(確認済み)、一説では材木まで浮かべていたというんですが、魚と同居出来るのかなぁ? あとなんか、防犯予防も兼ねていたらしいっすよ、塀を乗り越えて忍び込んだら、はい、ぼっちゃん、と。
自室の壁には東海道線の時刻表が貼ってあって人力車が常に待機していて「時は金也」で日本中を飛び回っていたそうですよ。ハイカラ趣味、というより奇想天外な彼の性質を反映して日本建築の材料なのに壁はツートンカラーのマーブル状。
二代目・清六氏(四男で清五から改名、ええー、ルールわからん;)は生まれた時点で金持ちだったので、成金趣味になるのかしら? と思ってましたらば、最先端の洋館趣味であったもののわりと清楚にまとめられていて、おまけにじきに和風建築のほうに生活をシフトしていってしまったという。
そもそも最初から、洋風じゃ無理があるかもー、と、日本家屋が設計されていた辺りからして、滲み出す地味ぃな人柄が伺えます(チャレンジ意識はあるもののちーと臆病なのか、でも二代目としちゃあ悪い性質でもないのかもな)。
家からは人となりが伺えます、と語り部の方も言っておられたのですが、ここまで露骨に反映されているのも珍しいというか、並べるだけでどっちがどっちかわかりそうよね。