「荒川放水路物語」絹田幸恵

荒川ってのがまあまず東京から右っていうか千葉のほうに行こうとするとまず渡らなくてはならないという大河川なんですが、そもそもなんで大河川なのかというと、あれが近代のわりと早い時期から長い時間を掛けて「放水路」として整備された、人工河川でありもともと存在していた幾多の河川からの水も引き受ける存在だからなんですが。
(洪水時には支川の水門を閉めて、荒川から一気に海まで流す設計です、そのために真っ直ぐに作ってあるそうで。)
わあ、そんな時期から大規模な工事あったんだな、すごいなぁ、と思ってたらそもそも江戸幕府が何度か行った瀬替えの結果頻繁に洪水が起こるようになったらしいですww
そもそも治水のために行われてたんですけどねー、畑に水を行き渡らせるようにしよう、という工事が「欲をかいた結果だ」とは言いたくはないんですが、なんかうん。


まあ、工事の趣旨としてはシンプルなんですがその人工河川の予定地では右往左往、買収の金額が安すぎるっていってももともと治水対策のためなので国にお金があるわけでもなく、引っ越しても生活が建て直せず、お寺さんが都心側に移りたい、という希望を出しても返事がなく(人口拡大するって見込まれてた時期だった気はします;)。
工事が始まったら始まったで資材を運ぶ蒸気機関で屋根が焼けたりそのことをすっとぼけられたり、工事で人が亡くなったり、途中に関東大震災を挟んで河川敷にデマのために朝鮮人が集められて殺されたり日本人も10人ほど一緒に殺されていたり(けどなんで?)。
完成後、都心側の西側と農作地の東側で1mの高さの差がある、という噂が流れ、確認してみたところ高さは同じなものの実際に東側の土手のほうが薄かったり。
子どもたちの遊泳場所と花火大会くらいですかね、明るい話題って…治水って大変だ。