「朝日新聞の記事にみる 東京百歳〔明治〕〔大正〕」朝日新聞社

交通関係が目当てで読んだのだけれども、なんだかいろいろと収穫があったような気がする、当時の値段を考えると無理もない気がするが、主に記事になっているのは東京馬車鉄道に市街鉄道系の私鉄が多く、なにか国家イベントがあると中央線が乗っかったよ、という程度の話があったくらいか、郊外系の私鉄で出てきていたのが玉電が開業記事。

項目だけだったが京王と今の西武池袋線の前身の武蔵野鉄道辺りも。

この辺は記事を選んだ人の好みってこともあるのかなぁ、しかしそれだと、「関東初」の乗り合いバスである青バスやら、関東大震災後に登場した円太郎バスを重要視して扱っていたことが微妙に説明付かないから(今はバスはそこまで重要でもない)、多分当時からある程度はこういう傾向だったのではないかと思っておこう。

関東大震災(大正12年)の少し前ごろ、大正11年にあまりの東京市の人口増加に耐えられず、郊外に人が逃げたがあまりの不便さに耐えられず、という記事があるので、この少し前の時期からその傾向があるはずで、過去の人口増加というと中央線の話をよく聞いていたのだけれど、要するに中央線沿線には曲りなりにも人が定着したってことだろうね。

(そこから南下した京王線も中央線に遅れて発展していったらしいし。)

 

見ていて感じるのが火事が多いことと、浅草なんかはわりと通して登場するものの、微妙に歓楽地として出てくる地名に変化があるような、ていうか日比谷ってどんな位置なんだろう、丸の内はこの時期までだとちょっと未熟、銀座などは成長中かな。

深川両国神田本郷、流行りの服の話、まるで娼婦のような格好をしている娘さんだとか、やたら偉そうな女中の話(紅葉館てなに?)、戦争の話、平和は喜びたいが景気が悪い、という風刺記事、正直記事も内容もまとまりはまるでないんだけどまあこれはこれで。