「都市が滅ぼした川-多摩川の自然史」加藤辿
東京23区の西側、私鉄の新宿寄りに住んでいて川というと「どぶ川」「暗渠」と「中央線沿いの緑色をしたお堀」というくらいの印象しかない世代の人間で、この本が出版された1973年よりはそれでもあとなので、いつの頃からかお堀の中にドーナツのような形をしたものが浮いて、見違えるように綺麗になっていた印象がぼんやり。
多摩川よりも多摩川から取水した玉川上水のほうが馴染みのある土地で、ただあれが地上に顔を出している部分はほとんどなくて、長いことなんだか知らなかったんですけどね。
調布というのは自分の沿線の先にある地名と思っていて、ずっと南のほうにある東急東横線の多摩川沿いにある取水場の名前が「調布取水場」だと言われると違和感があったりとか、知ってるようで知らないこの辺の地形を頭に浮かべながら読みまして。
電車の中に油の泡で出来た花のようなものが飛び込み、乗客の服にへばりつく、上流の下水は多摩川に流され、だが下流ではそこから水道水を取水する。遡っていくとどんどんと水量が減り、ほとんど水道水として使う分を川に流す、という発想をしていることが判明してくる、汚染処理場の処理能力を超えている、というところまでわかったものの、行政がその汚染処理場をなくせば汚染は取り除かれる、という恐ろしい発想をしていることが伝えられて。
多大な犠牲を払って作られた巨大なダムは作られてから一回しか満杯になったことがなく、その保障も満足に行われておらず、そのことを伝える『水道史』は誇らしげに貧しい村を救った、と述べている。身近な地名な分だけほとんど頭を抱えるようにして読む嵌めに。
その中から河川の環境を守れ、という運動が出てきて、ほとんど無策だったのにも関わらず複数の組織と連動していく流れが一つの希望として語られていたのですが。
このあとの時代、一体ここからどうなったんだろう、少しは良くなったのかな。