「三菱財閥史〈明治編〉」教育社歴史新書 日本史126、三島康雄

政商という括りそのものは三井財閥と同じなものの、ジャンルというか業界というか、立ち位置も関わり方も全く違ったんだなぁ、としみじみ。そもそもこないだ読んだ三井財閥史は「近世・明治編」なんですよね、で、意外とその違いってのは大きくて、そもそも岩崎弥太郎はまず貿易で稼ぎ、ちまちまと変遷はあるものの商船の世界に殴り込み。
土佐藩の支援くらいは受けたものの、まあ薩長と比べて小数派だしね。)
で、そこは国掛かりの蒸気汽船にも外国商船にも勝利し、炭鉱に手を出しまして、借金ごと抱えるようなことにもなったものの経営合理化(一時期行き過ぎて政府介入w)でなかなか良い成績を上げ、どうもその手腕が認められて、長崎造船所の払い下げ。
そして岩崎の持っていた三菱の商船会社の独占状態に対し、政府まで巻き込んでの共同運輸が立ち上げられまして、結果、合併しての日本郵船(三菱系の比重が上)が出来た、という辺りまでで岩崎弥太郎の死と明治の終わりが来まして一括り、という感じ。
共同運輸との争いと、長崎造船所の貸し与え時期が近接していたので、民間からは訝しがる声もあったようですが、もともと三菱の商船は戦争協力を全面的に行っていたところなので、流れで見ると大して違和感はないですね。
んで、初代も亡くなって、三井が事実上の財閥化するのも明治から大正に掛けてなので、そろそろ三菱もその準備に入ってるという感じかな。

 

しかし日本郵船からは三菱は手を引いてしまうので、今の三菱の印象である各社がほぼいないというのがちょっと不思議でしたw 三井とかそもそも初代からが呉服商で両替商だったからなぁ。そういや三菱は土地の取得をそろそろ始めてるんですよね。
それもまた、新時代の業種ということでしょうか、まだ利用はしてないよなw