「天保改革と印旛沼普請」同成社江戸時代史叢書12、鏑木行広

2001年刊行の本で約150年ほど昔、と言っているので(最近鉄道開業140周年とか言ってたよね)、そうかもう幕末と言っていい時期なんだろうね。私には千葉の土地勘が全くないものの、さすがに印旛沼は耳にすることはあるので少し古い時代のこの地域のことがわかるのかなと期待して手に取ったんですが、微妙に話は「お手伝い普請」の中の工事事情に終始してしまって残念だったかもw
ただ、よく考えてみれば治水のための割掘ということでお手伝い(微妙に嫌ってる藩に老中が押し付けたって言ってるんだけど、それで終わったあと罷免されたりしたのかなぁ? というか同じ役目の中から一人だけ罷免されたりっていういくらなんでも露骨すぎて気分のいい措置でなかったのは傍目に指摘あったみたいね)という話のはずなのに、戦争を想定した深さを要求したりとか、5分割された工事区間の中でそれぞれが自分の担当区域のことしか考えていないとか、病気が流行ったり、普請村で生活必需品の値段が吊り上げられたりといろいろさんざんなことがあったようですね。
とはいえ、その最悪のはずの始まりのわりに、思ったよりは治安も工事の進行も悪くなかったので正直なところ「気に食わない藩」というのが気骨があるから嫌われてたとか、そういう意味なんじゃなかろうかと思えてちょっと不安になりますね…。
そもそも幕末はそれまでの幕藩政治のツケが一気に巡ってきて、各地でかなりの負担増があったとは聞いてたんですが、まあ、その一環は窺い知ることは出来ないでもないかなぁ。

 

結局この時期にはこの割掘は完成せず、その後今度は昭和40年代まで話は伸び伸びになった、と説明されていたので、そもそも幕末ぎりぎりまで(戦争で必要になるまで)放置されてたってのと、ある意味で合致してるのかなぁ。ちょっと切ない。