「明治六年政変」毛利敏彦

鉄道史を読んでいた時に明治5年に最初の(新橋-横浜の)路線が開業したものの、明治6年の段階で三菱の意向を受けた政治家の主張にて鉄道資金が既存の建設路線以外で凍結され、資金が海運の設備へと回された、ということを読みまして、ただそれ以上が語られていなかったので「本当なのかなぁ??」というのをまず三菱のほうで確認してましたらば、確かに政府への戦争協力はしているものの明治7年が最初で微妙に釈然としない。
ずっともやもやとしてたんですが、そもそも明治6年の政変という時点で昔から征韓論争と呼ばれている騒動があった時代、この本ではその前々年の明治4年からの岩倉具視使節団もすでに明治6年の政変の始まりだったのではないか、この岩倉使節団がなければ政変もなかったのではないか、という意見にはとりあえず全面的に賛同。
確かに重要人物が国外に出されすぎているし、木戸孝允は確かに邪魔です納得します。

ただ、そこからの政変の内実に関しては征韓論がただの政争の道具でしかないのではないかという部分には賛同するものの、全体的な流れをただの大久保利通のクーデターと評価していたのはどうかなぁ、という気も。
この同じ年に、地租改正、徴兵制度、陸海軍の分離、それと鉄道建設を主張していた政治家が連座的に失脚していた上に鉄道関係の工部省まで巻き込まれていたので、今まで聞いていた「鉄道資金の凍結」はこれはあっても全くおかしくもなく、翌年から戦争への全面協力を行う三菱とつながった政治家が鉄道建設系と連座すべきところで留まっている、という今までの知識を総動員するとひょっとして全面戦争の準備してるんじゃないかなぁ、これ。
で、これ明治9年くらいにまた半分くらい状況変わってるんだよね(鉄道資金凍結は解除、政治家も戻ってる)。ひょっとして内務省創設も絡むのか、なんの流れだろうこれ。