「東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬」遺跡を学ぶ063、前原豊

東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

東国大豪族の威勢・大室古墳群 群馬 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

この前に読んでいた同じシリーズの埼玉古墳群で、確か律令制の完成(8世紀くらいでいいんだっけ)までに上毛野の勢力によって押さえつけられ、というようなことが語られていたと思うんですが、ちょうどその上毛野の地域、上毛野氏って呼んでいいのかな?
埼玉古墳群もそうでしたが、日本全土で前方後円墳が下火になって来た頃に東国では作られ続けていたらしく、いやむしろ、時期が早い頃はそれほど数がないんだよね確か。
(多摩のほうにやたらと早く作られた大和式の墳墓があって頭抱えてたけどw)
埼玉古墳群と同じように埴輪を使っての劇のような風景の再現などもあったんですが、どうもこちらのほうが丸いというか、全体的に可愛らしいなぁ、家の埴輪も可愛いし、あれお土産物として売ってたら普通に欲しいですね、すごく丸っこいのw
副葬品として埋められていたのではないかと推測されていた土器の飾りの鳥も可愛いし。
こういう埴輪が設置されていたのを埼玉古墳群の本でしか読んでいないのでたびたび比べて申し訳ないんですが、繊細で美的感覚に優れていたように見えたあちらと違ってずどーんとしてて丈夫そうで並べ方も単調ででも可愛いです、馬の埴輪のお尻まで可愛い。

そもそも南から見るため、北から見るため、ということが意識されていたらしく片面にしか石が敷き詰めていなかったり整形がされていなかったり、地下を掘ってそこに石室を作り土盛りの量を節約していたりとか、小さな墳墓も結構あったり、だいたい6人くらいが一緒に埋葬されていたらしいとか。石室があるように見えたもののなかったりとか。
それぞれがどういう意味なのか判明しているわけではなかったようなんですが(少し地位が劣るんじゃないかな、という推測はされてましたが)、なんか合理性というか、少しずつ伝統から抜け出てるようにも感じないでもなかったなぁ、想像すると面白いなw