「もっと知りたい東大寺の歴史」アート・ビギナーズ・コレクション、筒井寛昭/坂東俊彦/梶谷亮治

この間、滋賀の紫香楽宮関係の本をぽつぽつと読んでいて行基(はぐれ僧侶)が担当していたという大仏がどうなったのかをきちんと把握していなかったんですが、あ、結局あれがこの奈良の東大寺のほうに作られたんだね。
で、この東大寺というのはどうも総国分寺なのだそうです、ただ、国分寺がなにをしていたのかが微妙にわかっていないので、総国分寺がなにをしていたのかも微妙にわかりません、というか、この本はいろいろ驚いたんですが、隣の敷地に興福寺春日神社があるんだね! あれです、藤原氏の氏寺と氏神だよね。
今の時点で意味を考えようとしても無駄なのでとりあえず忘れておきます。
ただ、源平の頃に入るちょっと前に東大寺興福寺がまとめて燃やされたのは仕方ないよね、と納得します。春日社は無事だったんでしょうか、まあ広そうだしな。
とはいえ、なんで大和国(奈良です)が巻き込まれたんだろう、よくわからない。
あと挙げ句に、戦国時代にも三好三人衆と松永秀久の戦闘に巻き込まれて大仏殿が燃えたんですよね…。そもそも松永秀久の作った多聞城(最初の天守閣とか言われてる城)が大仏殿の向かいの山にあった多聞寺の跡地にあったって、止めたげて松永弾正?!
燃えたのが彼のせいになってる燃やしてない、という反論を他で見ましたが、責める人の気持ち正直わかるよ、直接じゃなくてもね…、うん。

歴史の中でわりと復興にいっぱいいっぱいになっていたようなので、正直だいぶ入れ込みながら読んでいました、特に鎌倉時代の復興において、日本の鋳物師が不可能だ、と呟いたあとに中国から技術者来たのはちょっと詳細知りたいなぁ。
てか、偉いは偉いけどそんな悪いことしてないですよね、災難だなぁ、東大寺