「サミットクラシー」船橋洋一

1975年に二度の石油危機を乗り越えたあと(ベトナム戦争によって低下したアメリカの経済力の替わりとされ、日本を体制側に組み込む、という裏目標があったそうなのですが)、フランスとドイツ(当時は西独)の当時の首相によって提案され、イギリス、アメリカ、日本を呼び、のちにイタリア、カナダを加えてG7
つい最近ロシアを加えてG8になりましたが(日本と同じ事情でしょうね)。
この本は1991年発行で、1990年のヒューストン開催までを収録、雑誌で掲載されていたものをまとめた形式。概ね初期の頃まで遡っています。
タイトルの“サミットクラシー”というのはサミットを開催することによる影響、というような意味合いのようで、もともとお祭り騒ぎ、その会議自体にはあまり意味のない示威ではあるとされながら(そしてかなり事実でありながら)、その示威行為であるという部分の効果はかなりあるようで、止めようと本気で言い出す関係者はいないのだとか。


で、まあ、アジアの経済新興国であるNIESを敵対視したり、石油管理の国際機構であるOPECに正面切って牽制を掛けたり、G5の中でもさらに日本を省いた会議を開いたり(軍事問題の場合は一線を置きたい、という日本側の意思もあるようですが)、その時代時代によって果たす役割を次々と変化させながら、しかし「話し合い」の場としてはそれほど有効には作用してこなかったな、という事実もある模様です。
G7があることそのものの効果はあると思うけどね、と著者さんも。
もともと、サミットというのは単に「首脳会談」の意味で今は特に明言しない限りこの会議のことを指すのだと思うのですが、役立たずだ、という評価とともに案外と生き残っていくんでしょうか、なにか矛盾しているという気はしますがw