『建築の世紀』作家のユートピア(旧山本有三邸、旧徳富蘆花邸)

イギリスのチューダー様式(というかむしろイギリスの伝統建築が漠然とチューダー様式と呼ばれてるというのが実情らしい)と日本の建築の折衷である“旧山本有三邸”。
もともとの建築様式では客間に相当する入り口の側暖炉を持つ空間を家族のために改装し、戦時中は近所の子どもたちのために図書館として解放し。
進駐軍の接収にあって去ることになったのだそーですよ。
大正15(1926)年に建てられた、むしろ都市部に人が集中していた時代に郊外に安らぎを求めて逃げ出したのだという人らの一人。このあとに紹介された人とともにかなり有名な作家さんだったそーなんですが、「路傍の石」って知らないっす。


なんでも一部屋だけを和室に改装し、そこをもっとも愛用していた節があるとのことで「まだ洋式って生活からちょっと遠かったんじゃねぇのかなぁ」と解説の方が。


んで、「ほととぎす」という大ヒット作品を書き。
さんざん歩き廻って見つけた家に住んだというのはまあ朴訥と言ってもいいけどよ。
そのあと飽きるたんびに増設してったのは質素とは言い難い気がするぞ、という感じの“旧徳富蘆花邸”。でも造り自体は手が込んでますけどシンプルですね。
木目の美しい純和風の造りに、でも執筆自体は椅子です、膝かw


押入れを改装した小さな椅子とテーブルのみの執筆スペースの傍ら。
己の手でぶち抜いて内側にガラス窓、外側に開き扉っていう窓が面白かったです。なんであんな造りだったんだろう? 風でも吹き込んだのかしら。