『建築の世紀』昭和の「教室」「教科書」の昭和(中央区立泰明小学校、東京書籍印刷)

復興小学校というのはどうも、関東大震災ののち(1923年ね)、1928年くらいまでに震災前からあった小学校を再建したものを特別にそう呼んでいるそうなのですが、そのうちの代表格が“泰明小学校”。建物が全壊している中、フランスから来たのだという鉄製の門だけが残っていたというのが想像してみるとちょっと壮絶だなぁ。
ほとんどが規格内で建てられた復興小学校の中でも少しだけ壁を厚くした、という特徴があったそうですよ、見た目は変わらないけど手間は違いそうだなぁ。


というか復興小学校という分類がまたちょっと変わっていて。
震災後に小学校そのものが作られた、というものが含まれないのはなんとなくわかるんですが、一部を修復するだけで使用可能だった学校や、もとが小学校ではなかった建物を小学校にされたもの、というものまで厳密に分類されていたので。
どうも単に呼ばれた、というよりも建築の段階で必要だったのかもしれませんね。
画一規格とはいえ、最新の技術はともかく、流行のデザインを取り入れたちょっとだけお洒落な雰囲気で、今に至るまでその呼び名が残っている理由もわからないでもないです。なんていうんだろう震災後「だからこそ」ということなのかなぁ。


もう一つ、“東京書籍印刷”の旧工場は現在は稼動はしていないものの見学可の建物として残っていて中で教科書の展示をしてる、のかな? 柱を使わないガラスを多用する(天井近くまであります)、という震災後の建物としては今となると不思議に感じますが。
これが当時最先端の耐震構造っていうんだから恐れいります(大胆な)。
鉄筋コンクリートの走りの時期、結構お洒落な建物ですよ。